最近、パイナップルづいている。それは妹の「パイナップル豆乳ローション」ブームの副産物なんだな。
というのも「材料に芯の部分を使う」ってんで、作り置きをするたび丸ごと買ってくるんだから気前が良いやね。能書き通り(ムダ毛が生えなくなる!)かは定かじゃないが、彼女がその代物に凝っている間は恩恵に浴する事ができそう。
まぁ果物全般ストライクゾーンの僕としては棚ボタな展開だ。大体、こんなにパイナップルを食ってる日々なんて人生でも滅多にないね。前世がハワイイ人なら(?)別だろうけど…。なーんて言ったら生まれ変わりを信じてるみたいかな。
でも輪廻転生ってのは、信じるも何も万物流転の道理だよなぁ。ただ、細胞の塊に生命を宿す(見えないチカラ)ってのは、固定された人格みたく単純なモンじゃないでしょ。もっとさ、空気の中に散らばり漂っている何かの集合? じゃないのかな。
だってさ、楽しくないんだよー。たとえば偶然の出逢いとか直感めいたひらめきを「前世の縁です」って言われてもなぁ、それじゃ「決められた運命は変えられません」ってのと大差ないじゃんか。 ま、そんなに小難しく考える事でもないか。
見知らぬ土地に懐かしさを覚える、いわゆる既視感覚ってのもそれかな? としたら、むしろ(きっと前世で良い思い出が沢山あったのねー)って悪い気はしない。けど大抵の眺めって、どっかで見覚えあるもんだよねぇ。そういうのってTVの見過ぎかなぁ、ハバナ旧市街でも感動とかなくて普通にウロウロしてたし。
しかし色々な人が、色々な所に出掛けてゆくね。北極圏でオーロラ見たとか、アフリカ大陸を回ってきたとか、そんな冒険じみたツアーも出来る時代なんだ。僕らが旅に出る理由、それは人それぞれなんだなって思うよ。つくづく。
だって僕は未開と呼べそうな土地も、先進的な町並みにも心躍らないからなー。やっぱ僕の楽園は南国で、しかも山岳地よりは海沿いか島だわ。もちろん、そこに人の営みがあるってのも大事だけど。
そう思えば、自分が知ってる海外って割と共通してる。台湾、メキシコ、キューバ、ハワイイ、グアム…これって前世的な嗅覚だったりして?
しかし韓国だけは例外だな、まぁ渡航回数では一番多いけど修学旅行と仕事の出張だから。
ソウルの中心街がほとんどで、蒸し暑い夏と厳寒の冬しか記憶にない。それでも、場末の古い家並みに迷い込んだ時は前世かと思った。何というか、アジアのギリシャ? 人気のない入り組んだ裏路地は、知らないのに堪らなく懐かしい感じで。妙に胸が鳴って、怖いんだけど帰りたくない気持ちだった。
外国から届く便り、これも良いもんだよね。洒落たポストカードも好きだけど、売れずに埃を被ってたような間抜けなのが最高。五大陸の様々なカードをさ(南極はないけど)、部屋の箪笥に貼り付けて眺めてんだ。そして、ふと気付くの。
減ったなぁー、って。
すっかり手紙も書かなくなって、用件はメールで済ませてるもんな。ただ、手書きとはどうも勝手が違ってんだよね。特に長文になると、スクロールしても内容を俯瞰できなくなるし。それとは別に、便せんなりカードを買い込んだり選んだりするってのも、メールじゃできない楽しみで。
絵葉書屋さんってさ、妙に心をワクワクさせると思わない? 夢のある仕事だなって思ったりするけど、需要も減ってるのに生計立てられてるのか気になったりもする。池澤○樹氏の小説に「絵葉書用の写真を撮って旅をしてる、雇われ写真家」が登場するんだけど、そんな人生も良さそうだなぁ。
そういえば、オンサンデーズで原爆だか水爆のポストカードを売ってたの。買わずにはいられなかった、あれこそ(狂気の美!)ってヤツだ。海面に立ちのぼるキノコ雲、禍々しいのに目が離せなくなる。畏怖という、一種の神々しさに。
…というフリで「もうすぐ終戦記念日〜」なんてオチ、そりゃないわな。
平成16年7月22日
2004年07月30日
2004年07月15日
49*明るい町に降り注ぐ雨
高架下で丸石のようになってる猫。
夕立が降ってきた。まるで電気を帯びたような、大粒の雨が肌を叩く。
この懐かしさに似た感覚、ボビー・ブラ〇ンの曲でも耳にしたみたいに(この辺は人によってクワイ〇ット・ライオットだったり、まぁ色々だろう)。だからって、まんま昔に返るとか匂いが甦るとかでもなくて。今にいながら、今の色が抜けてゆく…そんな感じ?
雨に打たれてると、濡れる程に目の前の雑事の縛りが緩くなってゆく気がする。浄化ってコトバだと少し違う、ただ自分がシンプルになってく。
僕は川の近くに住んでいる。
何度か引っ越しをしたけれど、結局は下流へ移動しただけで、ひょっとしたら離れられない関係なのかも? って思ったりして。生まれて物心付くまでは、アパートの窓から見える集積場から落とされるゴミを満載して「夢の島」へと向かうダルマ船が頻繁に行き交っていたものだ。
堤防を乗り越えると、打ち寄せるゴミから野球のボールが手に入った(どんなに洗っても臭いが消えなかったが)。そういう遊びで溺死する子供もいたし、腐敗した豚一頭が浮いてたりしたなぁ。大昔は荒ぶる川と呼ばれもしたし、父親の世代は泳いで遊んだらしい。でも、僕が知ってるのはコンクリに押し込まれて虚勢された水面だけ。
当時の悪臭を知っているせいか、今は潮の匂いしか感じられないし、得体の知れない浮遊物も消えた。それを思うと僕は(時間はかかるけど好転してるんだ)って感じるし、何よりも川が立ち直ってゆく経過を実感できる事が嬉しかったりする。
だからかなぁ、僕的に「千と千〇の神隠し」って大した映画じゃないと思うんだけど、ハクが名前を思い出す場面で必ず涙腺が緩くなる。今こうしてワープロに向かってても、ずいぶん観てないのに胸が苦しくなってくる位。
ここでの僕は、tomだ。そういったアダ名なんて、引っ越しの回数分かそれ以上は持っている。そしてそれらは、信徒が教父から与えられるように他人が名付けた僕の名前だ。更にいえば、そこに込められた意味どころか理由はすごーく適当なんだよなー。
もっとも、僕は与えられた名前を受け入れているし、受け入れる事でコミュニティ内に存在してるというアダ名の側面も理解してるから全然OKなんだけどね。
それに僕は、自分で自分に与えた「ひみつの名前」も持っている。
どこか遠い国の部族は、本名を隠して明かさないんだそうだ。それを知られるとチカラを奪われてしまう、そんなような理由だったと思うけど。確か原キリスト教(つまりユダヤ教か?)でも、全能の神ヤハウェーの名を口にする事は許されなかったという。そして現在では、本当の発音を誰も知らない…。何だか、近頃いわれる「プライバシー(個人情報)の秘匿」に似てるね。
逆に(名前を奪われる)って考えると、イージーな地名改編が頭に浮かんできたんだ。名前に宿る「土地の記憶」を消す事で、ある種のチカラを支配する…。それって昔は神事に則って行われていたんだよね、場合によっては文字通り命懸けの一大事。現代じゃ一介の不動産業者や、あるいは村おこしを口実に書類の上で片が付くけど。
この川も、古い名前と一緒にチカラを奪われたのかもしれない。それを取り戻す日が来たら、再び町を呑み込むのだろう。だとしても、立ち直ってゆく感じが好きだな。
…あ、空が明るくなってきた。
長田 弘の「驟雨」という詩を思い出して、あの一節の一言でこの空気すべてが語られている事に改めて感動する。
平成16年7月15日
夕立が降ってきた。まるで電気を帯びたような、大粒の雨が肌を叩く。
この懐かしさに似た感覚、ボビー・ブラ〇ンの曲でも耳にしたみたいに(この辺は人によってクワイ〇ット・ライオットだったり、まぁ色々だろう)。だからって、まんま昔に返るとか匂いが甦るとかでもなくて。今にいながら、今の色が抜けてゆく…そんな感じ?
雨に打たれてると、濡れる程に目の前の雑事の縛りが緩くなってゆく気がする。浄化ってコトバだと少し違う、ただ自分がシンプルになってく。
僕は川の近くに住んでいる。
何度か引っ越しをしたけれど、結局は下流へ移動しただけで、ひょっとしたら離れられない関係なのかも? って思ったりして。生まれて物心付くまでは、アパートの窓から見える集積場から落とされるゴミを満載して「夢の島」へと向かうダルマ船が頻繁に行き交っていたものだ。
堤防を乗り越えると、打ち寄せるゴミから野球のボールが手に入った(どんなに洗っても臭いが消えなかったが)。そういう遊びで溺死する子供もいたし、腐敗した豚一頭が浮いてたりしたなぁ。大昔は荒ぶる川と呼ばれもしたし、父親の世代は泳いで遊んだらしい。でも、僕が知ってるのはコンクリに押し込まれて虚勢された水面だけ。
当時の悪臭を知っているせいか、今は潮の匂いしか感じられないし、得体の知れない浮遊物も消えた。それを思うと僕は(時間はかかるけど好転してるんだ)って感じるし、何よりも川が立ち直ってゆく経過を実感できる事が嬉しかったりする。
だからかなぁ、僕的に「千と千〇の神隠し」って大した映画じゃないと思うんだけど、ハクが名前を思い出す場面で必ず涙腺が緩くなる。今こうしてワープロに向かってても、ずいぶん観てないのに胸が苦しくなってくる位。
ここでの僕は、tomだ。そういったアダ名なんて、引っ越しの回数分かそれ以上は持っている。そしてそれらは、信徒が教父から与えられるように他人が名付けた僕の名前だ。更にいえば、そこに込められた意味どころか理由はすごーく適当なんだよなー。
もっとも、僕は与えられた名前を受け入れているし、受け入れる事でコミュニティ内に存在してるというアダ名の側面も理解してるから全然OKなんだけどね。
それに僕は、自分で自分に与えた「ひみつの名前」も持っている。
どこか遠い国の部族は、本名を隠して明かさないんだそうだ。それを知られるとチカラを奪われてしまう、そんなような理由だったと思うけど。確か原キリスト教(つまりユダヤ教か?)でも、全能の神ヤハウェーの名を口にする事は許されなかったという。そして現在では、本当の発音を誰も知らない…。何だか、近頃いわれる「プライバシー(個人情報)の秘匿」に似てるね。
逆に(名前を奪われる)って考えると、イージーな地名改編が頭に浮かんできたんだ。名前に宿る「土地の記憶」を消す事で、ある種のチカラを支配する…。それって昔は神事に則って行われていたんだよね、場合によっては文字通り命懸けの一大事。現代じゃ一介の不動産業者や、あるいは村おこしを口実に書類の上で片が付くけど。
この川も、古い名前と一緒にチカラを奪われたのかもしれない。それを取り戻す日が来たら、再び町を呑み込むのだろう。だとしても、立ち直ってゆく感じが好きだな。
…あ、空が明るくなってきた。
長田 弘の「驟雨」という詩を思い出して、あの一節の一言でこの空気すべてが語られている事に改めて感動する。
平成16年7月15日
2004年06月26日
48*銀座の6月
確か「パリの4月」というジャズの曲があったなぁ、そう思った銀座の路上。
たまたま、友人の個展で久々に足を延ばしたんだ。前に来た時も彼の個展で、同じように山チャリ漕いで来た気がする。銀座の外れ、雑居ビルの小さな貸し画廊。誰もいない小さなスペース一面の不可解なオブジェ(というかインスタレーション)を眺め、芳名帳にサインして。
銀座の画廊は、中学の美術の先生に連れ回されたものだ。あの先生に会わなければ、僕は現代美術なんて判らなかったかもしれない。ジョージ・シーガルに始まってフランシス・ベーコン、大島渚や横井忠則などなど…。キース・ヘリングなんて、まだ出てきたばかりの頃だ(あれは原宿のギャラリーだったな)。
高校時代は、銀座でビル掃除をしてた。中学の時に親戚の中華料理屋で皿洗いやったのを除けば、これが一番最初のバイト。場所は別にどこでも、地元じゃなければ構わなかったんだ。今と違って(都市のエネルギーを吸収しなければいけない)って思ってたのは、やっぱり美術の先生に影響されてたのかな。
家で制服を着替えて、毎日2〜3時間程度。銀行とか重厚な建物は、独特の匂いがするって思った。でも未だ鮮明に覚えているのは、窓から見た殺風景な景色だわ。狭い空を囲むように軒を連ねた、古いビル特有の装飾的な造りと不似合いなダクト。今頃の季節は暮れるのが遅いから、残照に染まって外国みたいに見えたっけ。仕事そっちのけで、ずーっと見入ってたりしてた。
まぁそういった訳で、僕にとっては三越とか和光よりも、銀座っていうと古びたビルの路地って印象のほうが強い。例外なのは、銀四交差点の天気雨だね。勤め人としての生き方を諦め切れず、面接のハシゴをしてる合間に本屋に立ち寄ったんだ。そこで何げなく「イルカのアヌーからの伝言」って本を買ったのが僕の人生に大きく関わってくるんだけど、それは別の話。
で、次の面接に向かう途中で一瞬だけ通り雨が来て。
そんな事は、勿論すぐ忘れてたの。っていうか、実際には起こらなかったのかもしれない。だけど数年前、よしもとばななの短編で通り雨のシーンがあってね。すごく生々しく思い出したんだ、その時点では気が付かなかった細かな点まで。そして(自分が唄いたかったのは、まさにこういう事だったんだ!)って分かちゃったんだよね。
口はばったいんだけど、簡単に説明すると「僕個人の主義主張や価値観を押し付けるんじゃなく、所詮そんな事は誰でも知ってるんだから、耳にした時にこの天気雨のような気分に浸れたらいいじゃないか」って感じかな。幸せは一瞬でしかなく、だからこそ大切な瞬間を思い出せる事は素直にさせるし良い気持ちを生む…。唄で啓蒙しようなんて勢いなしに。
ところで、画廊から出た薄暗い廊下に貼ってあったポスター。そうだった! 今週までなんだ、オノ・ヨ○コ展。ジョン○ノンには興味ないけど、この人の世界はもっと知りたい。天気雨だけじゃなくて、実は彼女がいなければ僕の唄は確立されなかったんだから。
彼女のアートみたく、触れた人が(YES)を見つけられる唄を。
平成16年6月24日
2004年05月31日
47*湯と塩
今、銭湯から帰ってきたばかりでワープロに向かっている(そう、僕はフロッピーでパソコンに入稿してるのよ)。
元々この近辺にはまだ銭湯が多く残っているんだけども、利用するようになったのは割と最近になってからだな。彼女が僕の部屋に泊まっていく時、風呂場は家族と共用になるのが落ち着かない感じなので「じゃ、銭湯でも行く?」と提案したのね。
で、こうして一人で行ったりもするようになった訳。家でバスクリンなんか入れて雑誌読みながら浸かるのも好きなんだけど、やっぱ時々は(外湯じゃないと)って気分になる。今日は酒も呑んでたし時間的にも億劫だったのね、でも行ったら気持ち良かった。
まずサッと体を流して温いほうに浸かり、それから洗って熱いほうに入って、最後に桶とイスを流して片付ける。400円もするから長湯して元を取ろうとしたくなるけど、今夜はアルコールが抜ける位で丁度良い。番台のオバチャンに挨拶して外に出ると初夏の夜風、春でも夏でもない季節のね。
他の季節にも良い瞬間は色々ある、だけど今の時季ほど完璧じゃない。昼間の陽差しも夕暮れ時のゆるかさ加減も、僕の生まれた季節が最高!
今夜は深緑色した湯で、違うと思うけど苔のような香りがしてた。田舎の便所みたいでもあり、そこまで言っちゃうと気色悪い? でも目を閉じてると露天風呂のように生々しく感じたの。匂いって過去の一瞬をリアルに再生したりするけどさ、懐かしいようで知らない匂いだったから延々と検索かかっちゃって、そんな自分の心の状態も面白かった。
何かが浮かび上がってくる、もう一息で(あ、あれは…)って思い出せる寸前で検索から弾かれて別の記憶が出てきて。湯船の下から噴き出す泡みたく、次々と繰り返し思い出しそうになる光景を、僕は目を閉じたまま夢中になって捕まえようとしてたの。子供の遊びだよね、うまく伝わるか自信ないけどさ。
あと水風呂、あれもいいよね。のぼせそうに暖まった体で、じわじわ浸かるの。じっとしてると周りの水が体温で冷たくなくなるんだけど、少しでも動くとヒヤッとしてさ。そうやって段々と冷まされてゆく時の吐く息が氷のようで、また僕は目を閉じて自分の心で遊んでしまう。誰もいない淵、とか想像して。
去年の夏頃は塩ブームで、これは自宅の風呂に入る時の話なんだけど塩で体を洗ってた。肌に塩をなすり付ける、そのしみる感覚が海っぽくて。床にべったりと座り込んで、体中を塩まみれにしてね(もちろん頭も)。それを残り湯かぬるま湯で流してく、その時も目をつぶって想像の海岸線で波に巻かれてるのよ。島は浅瀬がないから、たとえばカンクン(メキシコ)の日向水っぽい感じ。
なんか今回は一本道で勢いに任せて書いてしまったねぇ。コンビニで買ったビールを飲み干すよりも早かったなぁ! タイトルも直球だし…。忘れた頃に読み返して、全面的に手直し入れそうな気がするな。
もう一本、ビール飲んだら寝よ。明日から雨らしい。
平成16年5月31日
2004年05月21日
46*メガネの色
もう3カ月も前の、2月の事。春を思わせる陽気のある日、散歩に出て近所の公園に寄ったのね。そこには2組の子供達がいてさ、見るともなしに眺めてて何か妙な感じがしたのよ。遊具に乗ってる女の子同士、縁石に腰掛けてる男のコ同士それぞれが体を密着させて微動だにしないんだもの…。変な勘ぐりじゃないけど、気になるでしょ?
実は携帯ゲーム機で遊んでいたのだ。しかも一人一台ずつ持ってて、別に通信対戦とかしてる訳でもないの。(家で一緒に遊べば?)って思うじゃん、わざわざ公園で顔を寄せ合ってゲームしなくても…。そう考えると尚更、僕には理解不能な光景で。でも理屈じゃない部分で、なんだか安心したりもして。
サイバーパンク小説の解説か何かで「ストリートはストリートなりの使い方で云々」という文章があってね、たとえばヒップホップカルチャーの缶スプレーやポータブルプレーヤーは、作り手が思いもしなかった新しい可能性だったんだよ。それと同じような意味合いで、もう大人になってしまった僕の発想で子供達の心配をしなくても大丈夫なんだろうって気がしたの。
子供らは彼らなりのやり方で、新しい物も古い物も同じ地平で取り込んでゆく。ゲームが屋内の遊びと決めているのは僕のほうでさ、ひょっとしたら目の前の不可解さがストリート・カルチャーの革新の始まりなのかもしれないし(大袈裟かな?)。
かと思えば、泥棒が冷蔵庫を盗もうとして腰痛になってメーカーを訴えたりもするらしいね。いくら予期せぬ使用法ったって「注意書きに『持ち上げないで下さい』と書かなかったメーカーの責任」という判決が出る事までは、革新と呼びたくないわな。だから乾電池に「食べないで」とか書いてあるんだ、もはや常識なんていう曖昧なルールは通用しない時代とはいえ…。
誰かが言っていた「アメリカの真似をしてると、日本がバカになる」というのも、妙に説得力を感じるなぁ、しかし単一民族という事になっている日本人同士だってさ、もはや頭の中は全員エイリアンだからねぇ。優先順位が共同体から個人に移った今、利害が一致しない限り(同じ想い)なんざ幸福とか平和より遠い幻想だし。
本って、他者の視点だと思う。それが映画でもRPGでも構わない、要はストーリーがあるものだね。他人の目に何がどのように見えてるかを知るなんて、日常ではまずあり得ないでしょ。深く突っ込んだ話をする関係を持てたとしても、相手の言葉を自分の経験で読み替えてる程度かもしれないしさ。
ストーリーという疑似的な経験によって物事の理解を別の角度から捕らえ直す、そんな他者の視点は自分を客観的にさせると思うんだ。自分という主観が、絶対ではなく相対的なものだって教えてくれる。物語は、視点を変えて世界を再体験する事なんだと。
虹の色が2つに見えるような人の視点を知る事と、自分で2色の虹を体験する事は知る以上の違いがある。つまり「自分の受け入れている現実は、象徴と神話で色づけされている」って事。それを思い込みとか色メガネって呼んでもいいけど、良い悪いじゃなく単なる基準という話。僕らそれぞれが生きてる今は、ゴーグルで確保された視界の中だけにあるって意味で。
裁判所ってのは、弁護士同士が(いかに裁判長のゴーグルを有利な色に塗り替えるか)を争うゲームセンターなんだよね。正義や真実が、じゃなくて勝訴が1つなだけで。
陪審員制度になると、きっと弁護士は(いかに泣ける筋運びで、多くのゴーグルを引き付けるか)という手段に出るだろうな。最近ニュースの扇情性が高い気がして、そういうの僕はアンフェアだと思うんだけど。
平成16年5月21日
実は携帯ゲーム機で遊んでいたのだ。しかも一人一台ずつ持ってて、別に通信対戦とかしてる訳でもないの。(家で一緒に遊べば?)って思うじゃん、わざわざ公園で顔を寄せ合ってゲームしなくても…。そう考えると尚更、僕には理解不能な光景で。でも理屈じゃない部分で、なんだか安心したりもして。
サイバーパンク小説の解説か何かで「ストリートはストリートなりの使い方で云々」という文章があってね、たとえばヒップホップカルチャーの缶スプレーやポータブルプレーヤーは、作り手が思いもしなかった新しい可能性だったんだよ。それと同じような意味合いで、もう大人になってしまった僕の発想で子供達の心配をしなくても大丈夫なんだろうって気がしたの。
子供らは彼らなりのやり方で、新しい物も古い物も同じ地平で取り込んでゆく。ゲームが屋内の遊びと決めているのは僕のほうでさ、ひょっとしたら目の前の不可解さがストリート・カルチャーの革新の始まりなのかもしれないし(大袈裟かな?)。
かと思えば、泥棒が冷蔵庫を盗もうとして腰痛になってメーカーを訴えたりもするらしいね。いくら予期せぬ使用法ったって「注意書きに『持ち上げないで下さい』と書かなかったメーカーの責任」という判決が出る事までは、革新と呼びたくないわな。だから乾電池に「食べないで」とか書いてあるんだ、もはや常識なんていう曖昧なルールは通用しない時代とはいえ…。
誰かが言っていた「アメリカの真似をしてると、日本がバカになる」というのも、妙に説得力を感じるなぁ、しかし単一民族という事になっている日本人同士だってさ、もはや頭の中は全員エイリアンだからねぇ。優先順位が共同体から個人に移った今、利害が一致しない限り(同じ想い)なんざ幸福とか平和より遠い幻想だし。
本って、他者の視点だと思う。それが映画でもRPGでも構わない、要はストーリーがあるものだね。他人の目に何がどのように見えてるかを知るなんて、日常ではまずあり得ないでしょ。深く突っ込んだ話をする関係を持てたとしても、相手の言葉を自分の経験で読み替えてる程度かもしれないしさ。
ストーリーという疑似的な経験によって物事の理解を別の角度から捕らえ直す、そんな他者の視点は自分を客観的にさせると思うんだ。自分という主観が、絶対ではなく相対的なものだって教えてくれる。物語は、視点を変えて世界を再体験する事なんだと。
虹の色が2つに見えるような人の視点を知る事と、自分で2色の虹を体験する事は知る以上の違いがある。つまり「自分の受け入れている現実は、象徴と神話で色づけされている」って事。それを思い込みとか色メガネって呼んでもいいけど、良い悪いじゃなく単なる基準という話。僕らそれぞれが生きてる今は、ゴーグルで確保された視界の中だけにあるって意味で。
裁判所ってのは、弁護士同士が(いかに裁判長のゴーグルを有利な色に塗り替えるか)を争うゲームセンターなんだよね。正義や真実が、じゃなくて勝訴が1つなだけで。
陪審員制度になると、きっと弁護士は(いかに泣ける筋運びで、多くのゴーグルを引き付けるか)という手段に出るだろうな。最近ニュースの扇情性が高い気がして、そういうの僕はアンフェアだと思うんだけど。
平成16年5月21日
2004年05月03日
45*Gショックの寿命
ずっと使ってきたベビーGが壊れた。
安価でタフが売りのGショック、確かに液晶やムーブメント(?)は10年近く使っていても全然平気。だが、外殻のプラスチックが耐えられなかったとは。
ボディボードを始める時に買った、一番最初のモデルだ。ベゼルとベルトのエメラルドグリーンは色褪せて、本体の透明なパーツは黄色く変色してしまった。そして気が付いたら、劣化してひび割れていたのだ。まだ使えない訳ではないけど、気に入ってただけにショック大。
当時は誰でもしてて、Gショックといえば黒一色だった。だけどカラフルなベビーGが登場した頃から妙な付加価値が付いた限定モデルが頻発して、なんでもない現行品でも当時の倍はするもんね。それでいてデザインは詰まらなくなってるし。
ともかく、僕のは(これほど汚いベビーGをしてる人は見た事がない)ってくらい使い込んだ。買った当時は毎週のように海行ってたから、日焼けと潮焼けで変色しちゃったんだわ。そういえば買った直後に社員旅行でハワイに行ったんだけど、その時の写真を見ると同じ腕時計とは思えないもん。
そうだ、勤め人だったからなあ。ボディボードのために、オーダーメイドのシーガル(半袖ウェットスーツ)とボードでローン組んだっけ。初めてグラサンに1万6千円も払ったんだ、ああいう収入が安定してる時期がなけりゃ一生出来ない経験だったんだ…! 向いてなかったし辛かったけど、そう思えば勤め人して良かった気がする(ロレックスも月賦で買えたし)。
ハワイだって、あの社員旅行がなければ行く機会なんてなかったかもしれない。しかも社員が接待ゴルフしてる最中、僕だけ単独行動でサンディビーチ(最もホノルルに近い、ボディボードのメッカ)に行く事が出来た。みんながワイキキショッピングモールで買い物してる間も、レンタルしたインラインスケートで海辺の公園を滑ってたんだ。自分のどこに、そんな行動力があったのか不思議だけど。
もし仮に今の僕がハワイに行ったとしても、そんなふうに動き回るなんて想像がつかない。多分あの時は仕事でストレスすごく溜まってて、その反動が出たんじゃないかって気がする。逆に言えば、欲求を何かで抑え込んでいたほうが行動力とか集中力って高め易いって事だよね。そういや確かに勤めを辞めた辺りで、短かった僕のアウトドア時代も終息期を迎えてるんだなぁ…。
そしてまた長い「超インドア時代」に戻り…。ただ以前とまったく同じではなくて、京都で新しい友人達と出逢い、キャンプをするようになり、メキシコに一人で行ったりしてる。その間も僕の腕にはベビーGがあり、どんどん日に晒されていたって訳だ。うーん、感慨無量じゃん。
だけど基本的に僕は物に思い出を込めたりはしないのね、結果的に捨てないで残ってる物を見て過去を思い出す事はあるけど。思い出のために取っておく事はしない、だって物は所詮ただのモノだから。つまりこのベビーGだって使えなくなりゃあ捨てるだろうけど、これの替わりに腕に付ける物となると簡単に見つからないんじゃないかなあ。
ま、携帯を持つようになってから腕時計の必要性って感じなくなってきたからねー。ただ携帯もかなり調子悪い時があってさ、でもこれも機種変更したくないんだわ。二つ折り型には抵抗あるし、この色味も気に入ってるから。
本当、携帯もパソコンみたくカスタマイズ出来たら良いのに!
平成16年4月30日
追記
えー、非常に長く人気のある記事のようで・・・。
おそらく皆さん、ご自身のGショックに関して。何か役に立つ情報を求めてらっしゃるのではないかと思ったりするのですが。
この、あんまり役には立ちそうにない記事をチェックしていただく方に申し訳ないような気もしたりして・・・。
で、その後のGショックに関する話を少々。
結局、某デパートの修理コーナーを通じてカシオに交換パーツを探してもらったのです。
しかし時遅く、もはや在庫は残っていないとの事でした。
ああいう、ビニールとプラスチックの合いの子のような素材は経年劣化するものです。
黄ばみは当然だと思うのですが、硬化はしても欠損までは予想外でした。
僕が甘かったですねー、想像力の欠如+メンテナンス不足は認めますが・・・モゴモゴ。
因みに現在使用しているG−ZXというモデル。
照明が暗くなってきたので、近くの時計屋さんで電池交換を頼んだのです。
その場で対応してくれたのは良かったのですけど・・・表示板の内側が曇るようになってしまいました!
まぁ専門の店ではなかったんですけどねー、まさか防水の時計のパッキンを無視するとは思ってもいなくて・・・。
で、某デパートの修理コーナーに持って行ったのでした(ベイビーGの件も、その時に確認してもらいました)。
結露による外装交換+パッキン修理+電池再交換・・・と、高い出費になってしまいました。
たかが電池、されど面倒がらずカシオに出しましょう。
僕の場合、1週間ぐらいで戻ってきましたよ。
安価でタフが売りのGショック、確かに液晶やムーブメント(?)は10年近く使っていても全然平気。だが、外殻のプラスチックが耐えられなかったとは。
ボディボードを始める時に買った、一番最初のモデルだ。ベゼルとベルトのエメラルドグリーンは色褪せて、本体の透明なパーツは黄色く変色してしまった。そして気が付いたら、劣化してひび割れていたのだ。まだ使えない訳ではないけど、気に入ってただけにショック大。
当時は誰でもしてて、Gショックといえば黒一色だった。だけどカラフルなベビーGが登場した頃から妙な付加価値が付いた限定モデルが頻発して、なんでもない現行品でも当時の倍はするもんね。それでいてデザインは詰まらなくなってるし。
ともかく、僕のは(これほど汚いベビーGをしてる人は見た事がない)ってくらい使い込んだ。買った当時は毎週のように海行ってたから、日焼けと潮焼けで変色しちゃったんだわ。そういえば買った直後に社員旅行でハワイに行ったんだけど、その時の写真を見ると同じ腕時計とは思えないもん。
そうだ、勤め人だったからなあ。ボディボードのために、オーダーメイドのシーガル(半袖ウェットスーツ)とボードでローン組んだっけ。初めてグラサンに1万6千円も払ったんだ、ああいう収入が安定してる時期がなけりゃ一生出来ない経験だったんだ…! 向いてなかったし辛かったけど、そう思えば勤め人して良かった気がする(ロレックスも月賦で買えたし)。
ハワイだって、あの社員旅行がなければ行く機会なんてなかったかもしれない。しかも社員が接待ゴルフしてる最中、僕だけ単独行動でサンディビーチ(最もホノルルに近い、ボディボードのメッカ)に行く事が出来た。みんながワイキキショッピングモールで買い物してる間も、レンタルしたインラインスケートで海辺の公園を滑ってたんだ。自分のどこに、そんな行動力があったのか不思議だけど。
もし仮に今の僕がハワイに行ったとしても、そんなふうに動き回るなんて想像がつかない。多分あの時は仕事でストレスすごく溜まってて、その反動が出たんじゃないかって気がする。逆に言えば、欲求を何かで抑え込んでいたほうが行動力とか集中力って高め易いって事だよね。そういや確かに勤めを辞めた辺りで、短かった僕のアウトドア時代も終息期を迎えてるんだなぁ…。
そしてまた長い「超インドア時代」に戻り…。ただ以前とまったく同じではなくて、京都で新しい友人達と出逢い、キャンプをするようになり、メキシコに一人で行ったりしてる。その間も僕の腕にはベビーGがあり、どんどん日に晒されていたって訳だ。うーん、感慨無量じゃん。
だけど基本的に僕は物に思い出を込めたりはしないのね、結果的に捨てないで残ってる物を見て過去を思い出す事はあるけど。思い出のために取っておく事はしない、だって物は所詮ただのモノだから。つまりこのベビーGだって使えなくなりゃあ捨てるだろうけど、これの替わりに腕に付ける物となると簡単に見つからないんじゃないかなあ。
ま、携帯を持つようになってから腕時計の必要性って感じなくなってきたからねー。ただ携帯もかなり調子悪い時があってさ、でもこれも機種変更したくないんだわ。二つ折り型には抵抗あるし、この色味も気に入ってるから。
本当、携帯もパソコンみたくカスタマイズ出来たら良いのに!
平成16年4月30日
追記
えー、非常に長く人気のある記事のようで・・・。
おそらく皆さん、ご自身のGショックに関して。何か役に立つ情報を求めてらっしゃるのではないかと思ったりするのですが。
この、あんまり役には立ちそうにない記事をチェックしていただく方に申し訳ないような気もしたりして・・・。
で、その後のGショックに関する話を少々。
結局、某デパートの修理コーナーを通じてカシオに交換パーツを探してもらったのです。
しかし時遅く、もはや在庫は残っていないとの事でした。
ああいう、ビニールとプラスチックの合いの子のような素材は経年劣化するものです。
黄ばみは当然だと思うのですが、硬化はしても欠損までは予想外でした。
僕が甘かったですねー、想像力の欠如+メンテナンス不足は認めますが・・・モゴモゴ。
因みに現在使用しているG−ZXというモデル。
照明が暗くなってきたので、近くの時計屋さんで電池交換を頼んだのです。
その場で対応してくれたのは良かったのですけど・・・表示板の内側が曇るようになってしまいました!
まぁ専門の店ではなかったんですけどねー、まさか防水の時計のパッキンを無視するとは思ってもいなくて・・・。
で、某デパートの修理コーナーに持って行ったのでした(ベイビーGの件も、その時に確認してもらいました)。
結露による外装交換+パッキン修理+電池再交換・・・と、高い出費になってしまいました。
たかが電池、されど面倒がらずカシオに出しましょう。
僕の場合、1週間ぐらいで戻ってきましたよ。
2004年04月18日
44*キャリフォルニアの夢
70年代の終わりまでは、カリフォルニアは「キャリフォルニア」と呼ばれたりもしていた。まだウェストコーストという響きには意味があり、そこには青い空が拡がってると決まっていたのだ。ヤシの木とサーフィンボード付きで。
アメリカ西海岸の第一次サーフ・ムーブメントは、東京の団地に住む小学生達にもスケボーを流行させたのでした。もちろん子供だった僕らは、単純に(ローラースルーとかホッピングのようなもの)としてしか認識してなかった訳ですが。
当時、僕が初めて観に行った洋画は「ボーイズ・ボーイズ」という青春スケボーもので、今になって思えば後々の服の好みにまで影響を与えてるんだなーと思う。アメカジ系の古着が好きなのは、あの映画の男の子達が着てたヨレヨレしたレタードTシャツなんかが原点にある気がするもんなあ。
服で言うと、あとサープラス(軍の放出品)好きも小6〜中1頃に深夜のTV映画で観た「タクシー・ドライバー」などのアメリカン・ニュー・シネマに影響されたのかも。ベトナム戦争直後という時代の空気、そして何より機能的でいて安いところが良いね。でも最近じゃあ着てるだけで、短絡的にブッシュ派みたく見られてしまうような…。
ま、今それは関係ないんだ。
図書館でCD借りて聴いてたんだわ、AORのコンピ盤。「大人向けロック」の略だとか、そうじゃないとか。ジャンル分けなんてどうでもいいんだ、ただ70年代後半から80年代前半の日々に流れてた音楽なのよ。第一次スケボー・ブームからMTVまで、僕の音の趣味も大体その辺で決まっちゃった気がする。AOR、ブラコン、クロスオーバー、ニューミュージック、などなど。
中学生になったばかりの僕は、いつも学ランの内ポケットに「西海岸ガイドブック」を突っ込んでた。1ドル=何円か知りもしないし、書かれた店や通りどころか内容すべて分からなかったくせにね。それでも構わなかったんだ、僕の精神は常に半分を夢の中に置いていたかったんだ。
ふと思ったんだけどさ、みんな何かしらあったんじゃないかなあ? 僕だけじゃなくて、成長の過程では誰もが(無自覚な危機的状況)を通過しなければならなくて、そういった一種の象徴的な「よすが」で少年期を乗り切って行くとか…。人によって色々な、あるいはもっと内面的な要素かもしれないけど。表面に出ない、奇妙な習癖みたいなの。
第二次性徴期ってのと関連するのかもしんない、その位の年齢って親も知らない秘密を持ったりする時期じゃん。エロ本とかタバコなんかを買っちゃったりさあ、カツアゲ食らったりホームレスいじめたりね。いやいや、飽くまで一般論としての譬え話だから。んでまぁ行動半径が拡がって、それまで見知っていた近所の大人子供とは別個の関わりがバンバン生じて。
そうやって自分の勢力圏外にさらされる、いわば心のヘソの緒が取れる時に僕らは通過儀礼がないでしょ。インディアンにとってのトーテムみたいな、繋がりというか契約は持ってないよね。でもさあ、もしかしたらそういった儀礼は人の心に欠かせない事柄だったりして、そんで無意識に疑似的な行為をしてるとしたら…? たまたま僕の場合は、それが「キャリフォルニア」だったんだろうという気がしたんだ。
今はもう誰も、そんなふうには呼ばない。カリフォルニア、それは単なる地名だ。しかし不思議な事に「キャリフォルニア」という響きには、僕の要素がギッシリ詰まっている。一粒の種子の中に、いつか大木になる要素が全部あるように。現在から見れば最も孤独が寂しくなかった頃であり、きっと当時の自分から見た今の僕を一言でいうなら「キャリフォルニア」しか思いつかない。
そうか! 僕の南国志向も、そこに端を発しているんだな。
平成16年4月10日
アメリカ西海岸の第一次サーフ・ムーブメントは、東京の団地に住む小学生達にもスケボーを流行させたのでした。もちろん子供だった僕らは、単純に(ローラースルーとかホッピングのようなもの)としてしか認識してなかった訳ですが。
当時、僕が初めて観に行った洋画は「ボーイズ・ボーイズ」という青春スケボーもので、今になって思えば後々の服の好みにまで影響を与えてるんだなーと思う。アメカジ系の古着が好きなのは、あの映画の男の子達が着てたヨレヨレしたレタードTシャツなんかが原点にある気がするもんなあ。
服で言うと、あとサープラス(軍の放出品)好きも小6〜中1頃に深夜のTV映画で観た「タクシー・ドライバー」などのアメリカン・ニュー・シネマに影響されたのかも。ベトナム戦争直後という時代の空気、そして何より機能的でいて安いところが良いね。でも最近じゃあ着てるだけで、短絡的にブッシュ派みたく見られてしまうような…。
ま、今それは関係ないんだ。
図書館でCD借りて聴いてたんだわ、AORのコンピ盤。「大人向けロック」の略だとか、そうじゃないとか。ジャンル分けなんてどうでもいいんだ、ただ70年代後半から80年代前半の日々に流れてた音楽なのよ。第一次スケボー・ブームからMTVまで、僕の音の趣味も大体その辺で決まっちゃった気がする。AOR、ブラコン、クロスオーバー、ニューミュージック、などなど。
中学生になったばかりの僕は、いつも学ランの内ポケットに「西海岸ガイドブック」を突っ込んでた。1ドル=何円か知りもしないし、書かれた店や通りどころか内容すべて分からなかったくせにね。それでも構わなかったんだ、僕の精神は常に半分を夢の中に置いていたかったんだ。
ふと思ったんだけどさ、みんな何かしらあったんじゃないかなあ? 僕だけじゃなくて、成長の過程では誰もが(無自覚な危機的状況)を通過しなければならなくて、そういった一種の象徴的な「よすが」で少年期を乗り切って行くとか…。人によって色々な、あるいはもっと内面的な要素かもしれないけど。表面に出ない、奇妙な習癖みたいなの。
第二次性徴期ってのと関連するのかもしんない、その位の年齢って親も知らない秘密を持ったりする時期じゃん。エロ本とかタバコなんかを買っちゃったりさあ、カツアゲ食らったりホームレスいじめたりね。いやいや、飽くまで一般論としての譬え話だから。んでまぁ行動半径が拡がって、それまで見知っていた近所の大人子供とは別個の関わりがバンバン生じて。
そうやって自分の勢力圏外にさらされる、いわば心のヘソの緒が取れる時に僕らは通過儀礼がないでしょ。インディアンにとってのトーテムみたいな、繋がりというか契約は持ってないよね。でもさあ、もしかしたらそういった儀礼は人の心に欠かせない事柄だったりして、そんで無意識に疑似的な行為をしてるとしたら…? たまたま僕の場合は、それが「キャリフォルニア」だったんだろうという気がしたんだ。
今はもう誰も、そんなふうには呼ばない。カリフォルニア、それは単なる地名だ。しかし不思議な事に「キャリフォルニア」という響きには、僕の要素がギッシリ詰まっている。一粒の種子の中に、いつか大木になる要素が全部あるように。現在から見れば最も孤独が寂しくなかった頃であり、きっと当時の自分から見た今の僕を一言でいうなら「キャリフォルニア」しか思いつかない。
そうか! 僕の南国志向も、そこに端を発しているんだな。
平成16年4月10日
2004年04月01日
43*ベントラごっこ
先週だったか先々週だったか、妙に苛立ち易い日があった。
まぁ、そういう日ってのは取り立てて珍しくもないやな。そんでもって苛々オーラを出していると、楽しい事より不愉快な出来事が集まってくるもんだ。こっちの不機嫌なエネルギーが周囲に波及してるのかもしれないし、あるいは荒んだ何かの出す空気に同調しちゃって楽しい事が目に入らなくなるのかもしれない。
そんな日の数日後、新聞の小さな記事で「地球に大きな流れ星が最大接近していた」というのを目にしたのだ。内容は若干違ったような気もするけれど、まぁそういうのの影響が出たんだと思うと面白かったな。今更だけど、あの日は周りの人がことごとくカリカリしてて振り回される事に苛立ってたんだ、と言えなくもない。
動物は月の満ち欠けと調和したリズムで生きてるとか言うけど、人間だって月と犯罪の増加率には関連があるっていう話を聞いた覚えがある。だったら(大きな隕石が地球とニアミスしたせいで、人の精神状態が世界的レベルで不安定になった)って言われたって妙に腑に落ちる感じがするな。むしろ生き物らしい感受性に愛着が湧いてくる位。
そんな予報番組があったら、ちょっと楽しいかもね。たとえば朝の占いコーナーみたく「今夜は満月なので頭に血が上り易そうです」とか「今日から流星雨になりますので、モヤモヤ気分の人が増えそう」とか。「アフリカの皆既日蝕の影響により、一時的な胸騒ぎがありそうです」なんてね、そんで駅で腹立つ人に遇っても(あ、サバンナは今ダイヤモンドリングなのかぁ)なんて牧歌的な気持ちになれたら良いんだけど。
ところで全然関係ないんだけど、子供の頃UFOを呼ぼうとした事があったなぁ。あれは小学校の1、2年か? クラスの誰かが、どっかで覚えてきたんだな。何人かで輪になって「ベントラー、ベントラー」って唱えながらぐるぐる回ってるとUFOが寄って来るって言われてさ、空き地に行って本当にやったんだよね。子供心でも(そんな訳無いよな)って分かっていながら、でも薄ら怖かった。用もないのに呼び出して怒られたら…って。
ずーっと回ってるうちに「ベントラ」が「トラベン」になって、しまいに気分が悪くなってきたし飽きちゃって終わり。たった一度の下らない遊びだったのに、大槻〇ンヂのエッセイで同様の話を読んで一気に思い出した。当時は空き地がまだあって、空も今よりは広かったって事も。それにしても、世の中には他にも「ベントラごっこ」経験者がいたんだ。時代だよなぁー。
UFO、ユリゲラー、ノストラダムス、謎の4次元、心霊写真、ネッシー…。そういう現象が許されていた、というか大手を振ってまかり通ってたんだよね。世紀末を過ぎ21世紀から冷めた目で振り返るのとは違う感覚なのよ、その空気の渦中を生きていた目線ってのは。
30年後の自分の身長で見渡せば、あの広大だった筈の空き地も実際それほどではなかったりするのだろう。その時の低い視線には荒れ野に映った(誰のものでもない場所)が幻想だったように、今の自分には見えない現実を生きてたんだなって思う。その半分は、時代の見せてくれた幻影だったとしてもね。その事が、なんだか生々しく感じられる。
情報の質とか量と関係なく、人はそれぞれ世界を定義してるんだ。
それぞれの人が生きる世界は、そういった事とは無縁の神話のようなものなんだ。
たとえ子供であっても、子供なりの規範を持って幻想を生きてるし、そして既知の世界は狭く異文化は広い。だからすぐに「冒険だ」とか言って無茶するのかもな、細い塀の隙間を伝ったりとかして。
すっかり忘れているけど、同じニュースを共有してる人同士の中で生きていると異質さが遠くに感じられてしまうんだよね。あの荒野の向こうまで冒険しに行く勢いで、今は外国だって行けない事もないのに。まだ僕にもその余地はあるのだろう、知らない何かへの好奇心があれば。
今行ってみたいのは…ベルギー? うーん、熱が及ばないかな。
平成15年3月27日
まぁ、そういう日ってのは取り立てて珍しくもないやな。そんでもって苛々オーラを出していると、楽しい事より不愉快な出来事が集まってくるもんだ。こっちの不機嫌なエネルギーが周囲に波及してるのかもしれないし、あるいは荒んだ何かの出す空気に同調しちゃって楽しい事が目に入らなくなるのかもしれない。
そんな日の数日後、新聞の小さな記事で「地球に大きな流れ星が最大接近していた」というのを目にしたのだ。内容は若干違ったような気もするけれど、まぁそういうのの影響が出たんだと思うと面白かったな。今更だけど、あの日は周りの人がことごとくカリカリしてて振り回される事に苛立ってたんだ、と言えなくもない。
動物は月の満ち欠けと調和したリズムで生きてるとか言うけど、人間だって月と犯罪の増加率には関連があるっていう話を聞いた覚えがある。だったら(大きな隕石が地球とニアミスしたせいで、人の精神状態が世界的レベルで不安定になった)って言われたって妙に腑に落ちる感じがするな。むしろ生き物らしい感受性に愛着が湧いてくる位。
そんな予報番組があったら、ちょっと楽しいかもね。たとえば朝の占いコーナーみたく「今夜は満月なので頭に血が上り易そうです」とか「今日から流星雨になりますので、モヤモヤ気分の人が増えそう」とか。「アフリカの皆既日蝕の影響により、一時的な胸騒ぎがありそうです」なんてね、そんで駅で腹立つ人に遇っても(あ、サバンナは今ダイヤモンドリングなのかぁ)なんて牧歌的な気持ちになれたら良いんだけど。
ところで全然関係ないんだけど、子供の頃UFOを呼ぼうとした事があったなぁ。あれは小学校の1、2年か? クラスの誰かが、どっかで覚えてきたんだな。何人かで輪になって「ベントラー、ベントラー」って唱えながらぐるぐる回ってるとUFOが寄って来るって言われてさ、空き地に行って本当にやったんだよね。子供心でも(そんな訳無いよな)って分かっていながら、でも薄ら怖かった。用もないのに呼び出して怒られたら…って。
ずーっと回ってるうちに「ベントラ」が「トラベン」になって、しまいに気分が悪くなってきたし飽きちゃって終わり。たった一度の下らない遊びだったのに、大槻〇ンヂのエッセイで同様の話を読んで一気に思い出した。当時は空き地がまだあって、空も今よりは広かったって事も。それにしても、世の中には他にも「ベントラごっこ」経験者がいたんだ。時代だよなぁー。
UFO、ユリゲラー、ノストラダムス、謎の4次元、心霊写真、ネッシー…。そういう現象が許されていた、というか大手を振ってまかり通ってたんだよね。世紀末を過ぎ21世紀から冷めた目で振り返るのとは違う感覚なのよ、その空気の渦中を生きていた目線ってのは。
30年後の自分の身長で見渡せば、あの広大だった筈の空き地も実際それほどではなかったりするのだろう。その時の低い視線には荒れ野に映った(誰のものでもない場所)が幻想だったように、今の自分には見えない現実を生きてたんだなって思う。その半分は、時代の見せてくれた幻影だったとしてもね。その事が、なんだか生々しく感じられる。
情報の質とか量と関係なく、人はそれぞれ世界を定義してるんだ。
それぞれの人が生きる世界は、そういった事とは無縁の神話のようなものなんだ。
たとえ子供であっても、子供なりの規範を持って幻想を生きてるし、そして既知の世界は狭く異文化は広い。だからすぐに「冒険だ」とか言って無茶するのかもな、細い塀の隙間を伝ったりとかして。
すっかり忘れているけど、同じニュースを共有してる人同士の中で生きていると異質さが遠くに感じられてしまうんだよね。あの荒野の向こうまで冒険しに行く勢いで、今は外国だって行けない事もないのに。まだ僕にもその余地はあるのだろう、知らない何かへの好奇心があれば。
今行ってみたいのは…ベルギー? うーん、熱が及ばないかな。
平成15年3月27日
2004年03月22日
42*我が心の耳垢
春ですな。こう暖かいと、そろそろ屋外でギター弾きながら唄の練習を再開したくなるってもんだ。でも、まだ指先が動かなそうなので後日にしようっと。
そうそう、このくらいの時季って(冬は終わった!)って油断しがちなんだよね。んで、急に冷え込んで足元をすくわれるっていうか大風邪を引いたりするの。桜が咲いてから雪が降ったりするからなー。特に僕は寒いの苦手なので、ちょっと春めいただけで浮かれちゃう。
思えば、僕には雪にまつわる思い出って少ないかもなぁ。
スキーに初めて行ったのは、ハタチだった。そして金髪。友人Nと夜中の製本バイトして、日銭で懐を温めて出掛けたのだ。彼の車で、当然ながらチープ&ハードな日帰りスキーさね。
僕はまったくの初心者だから直滑降&転倒専門、安手のウェアじゃパンツまで濡れて冷え冷え。夕闇迫る湖畔の路肩で、持参のガスコンロでインスタントラーメンを煮て食べた。帰り道は迷いに迷って、裏磐梯だった筈が喜多方にいたっけ。
二度目のスキーは4年後の、初めてのリゾートバイト。別のバイトの冬休みを利用して、八方尾根まで出稼ぎに行ったのだ。バイトの空き時間は滑り放題! という謳い文句に(これで一気に上達!)するかと思いきや、毎晩タコ部屋でバーボン三昧。だってさー、ゲレンデから降りてくると板とブーツをレンタルする時間じゃなかったんだわ。
そして勤め人となり、先輩の運転で東北の工場を回った時も雪だった。福島から秋田に向けて、夜中の山越えをする羽目になっちゃって。安達太良山の駐車場で休憩してたら、吹き降ろす強風で車が滑り落ちそうになるし、尾根道は更に激しい猛吹雪で(僕は助手席だったんだけど)視界ゼロ&スリップの連続! 秋田側に下る坂道の左右には横転したトレーラーの見本市よ。なのに突然に降り止んだ銀世界は、凍りついたような無音で息を呑むほど繊細だった。
僕の記憶に焼き付いている雪景色って、なぜかどれも静止画みたいなの。真夜中で、人の気配がなくて、無気質でさ。メタン・ハイドレート、だっけか? 深海の底にある凍ったガスと泥の固まり、まるでそのような感じなのね。忘れた頃に、心の奥底から突然ボコリと浮上してくるイメージ。詞を書こうとしてる時なんかにね。
最近は全然なんだけど、僕は寝る前に詞を書く事が多い訳よ。でも日記みたく私的だったりはしないんだ、その辺て誤解されがちなんだがね。たとえばラブソングだったとしても、その日TVで観たドラマだったり隣り合ったカップルだったりが折り重なってるもんなの。寝入りばなに見る、一日分の走馬灯っぽい感じ。
そういう時にね、ボコリと波打つんだ。思い出そうとしても見つからない写真に似てて、どうでもいい時に鮮明に浮かんでくる。だからって、その光景の状況とか人間模様なんかは不思議なくらい飛んじゃってて。精神状態だけ、それを目にした一瞬に戻ってる。
うまくすると、頭で変換するより早く一行目が書けてるのね。そしたらしめたもので、あとは勢いに任せて考える間もなく歌詞が出来ちゃう。とにかくカタチに置き換える最初の文字が切り出せたら何とかなるの、関係ない他の記憶が詞に足りない要素を何とかしてくれるから。
たとえば旅をしたとして、面白いもので(その事をモチーフにして書きたい)なーんて思ってるうちはダメなの。耳に詰まった垢がゴソッと削げ落ちる感じで、ある日突然カタチになるんだな。しかも思った通り、じゃない感じでね。ひょっとしたらそれも訓練次第でコントロール出来るものなのかもしんないけどさ、でも案外そうしちゃったら力が弱くなりそうで。
狙いどおりに作るのって楽しいけど、そういうんじゃあ自分自身を楽しませる力ってのは持ってない気がするな。
平成15年3月21日
2004年03月03日
41*燃えよ!イイオンナ
ヘザー・ロックリア。ずっと気になってたハリウッド女優で、最近やっと名前が判明した。演技とか私生活とかは知らない、ただ画面に映る表情や仕草が魅力的なの。若干、トウの立った美人で、笑うとできる目元のシワもまた素的な感じ。年齢が現れる部分がチャーミング、というのは年の取り方として理想的かもしれない。
しかし考えてみれば、目元のシワに魅力を感じるのって不思議だ。魅力的なシワと、そうでないシワがあるの? と自問してみる。それをいうなら「石庭に侘び寂を見る」という心の主観性と似たようなものだろう。だって、神経質に整えた砂利じゃんね。侘び寂の砂利と、そうでない砂利。
ところで、僕には「モテモテ願望」がある。まるで絵に描いたみたくカワイコチャンがキャーキャー寄ってくる、そんな単純なイメージへの憧れが。
そんな嘘臭い願望を体現してる(と僕の目には映った)青年がいたのね、彼女がいようが関係なくグイグイ迫ってくる女性が後を絶たないような。壮絶な入れ食いラブライフ状態。
そりゃもう羨ましい! というか、心底あやかりたくてさ。彼の爪の垢ゴクゴク飲む勢いで観察してて、ちょっとした発見をしたの。彼の目元は優香に似てる、って。もちろん性格だってモテモテで当然だったんだけど、そこはやっぱり太刀打ち出来ないし。
ちょうど(癒し系)なんてフレーズが旬だった頃でさ、すでに優香も巨乳アイドルじゃなくなってて。TVなんかで見かけるたびに僕は、あの半開き気味の瞳がポイントだと思ってたのよ。それから鼻の下を伸ばすような話し方ね(高松しげおかよ)。
微妙にトロンとした眼差し、そこに彼と優香の共通点を見いだした僕は(これぞモテる秘訣では?)と短絡的に結論付けた。たとえばベティブープの誇張されたアイシャドウね、半開きの瞳ってのは性的な恍惚を連想させると思ったのよ。これが半開きの口となると、知性的にビミョーだけども。
僕は以前から、瞳に芯がある人を「眼力がある」と呼んでる。メイクで作られた「目ヂカラ」なんてのとは別ものとしてね。優香眼は、そういった一種の緊張を強いる力とは逆の安心効果がある気がしたんだ。
でもその効果で引き付けられちゃう人って、不安を多く抱えてるって事になりそう…。おおっ、ノーサンキューだぜベイビー!
浅草で仕事をしてた頃は、特に(色気は所作)って感じたな。あの界隈は芸事の師匠がとても多くて、今も地元の女の子が普通に稽古通いしてるのが珍しくないんだ。そうすると普段の所作ってのも違ってきてさ、たとえば三社の時期なんて地元以外の神輿担ぎが大挙して祭り装束が入り乱れる訳よ。だけど浅草の女のコって一目で分かるの、きりりとした色気というか所作が自然に決まってるから。帯の締め方がだらしない、なんてのは論外でね。
背筋や立ち居ふるまいがすっとしている、そういう女性の色気は年を重ねても衰える事はない。ただ、習い事に即効性はないからなあ。もし自分が女性で(イイ女になりたいな)って思ったとしても、結局は目先のダイエットやエアロビに走ったりするだろうけど。服とか小物に金をかけたりね。そういう買い物は、消費という楽しみと(キレイになった自分)という妄想をも与えてくれる。身につければ即座に効果が実感出来る、という満足も与えてくれる。10年、20年で二束三文だろうが。
そう、長期的なスパンで物事を見れないんだ。これは女性云々じゃなくて、今は「結果を出す」という言葉が象徴するような価値観の時代なんだな。100年後のために木を植える、9世代先の子供達に遺すという考えが根を張る土壌は期待出来そうにないのかも。
だって所作の色気を絶賛してる僕自身、思い描く「モテモテ願望」のカワイコチャンは外見優先なんだもの…。
平成15年2月11日
しかし考えてみれば、目元のシワに魅力を感じるのって不思議だ。魅力的なシワと、そうでないシワがあるの? と自問してみる。それをいうなら「石庭に侘び寂を見る」という心の主観性と似たようなものだろう。だって、神経質に整えた砂利じゃんね。侘び寂の砂利と、そうでない砂利。
ところで、僕には「モテモテ願望」がある。まるで絵に描いたみたくカワイコチャンがキャーキャー寄ってくる、そんな単純なイメージへの憧れが。
そんな嘘臭い願望を体現してる(と僕の目には映った)青年がいたのね、彼女がいようが関係なくグイグイ迫ってくる女性が後を絶たないような。壮絶な入れ食いラブライフ状態。
そりゃもう羨ましい! というか、心底あやかりたくてさ。彼の爪の垢ゴクゴク飲む勢いで観察してて、ちょっとした発見をしたの。彼の目元は優香に似てる、って。もちろん性格だってモテモテで当然だったんだけど、そこはやっぱり太刀打ち出来ないし。
ちょうど(癒し系)なんてフレーズが旬だった頃でさ、すでに優香も巨乳アイドルじゃなくなってて。TVなんかで見かけるたびに僕は、あの半開き気味の瞳がポイントだと思ってたのよ。それから鼻の下を伸ばすような話し方ね(高松しげおかよ)。
微妙にトロンとした眼差し、そこに彼と優香の共通点を見いだした僕は(これぞモテる秘訣では?)と短絡的に結論付けた。たとえばベティブープの誇張されたアイシャドウね、半開きの瞳ってのは性的な恍惚を連想させると思ったのよ。これが半開きの口となると、知性的にビミョーだけども。
僕は以前から、瞳に芯がある人を「眼力がある」と呼んでる。メイクで作られた「目ヂカラ」なんてのとは別ものとしてね。優香眼は、そういった一種の緊張を強いる力とは逆の安心効果がある気がしたんだ。
でもその効果で引き付けられちゃう人って、不安を多く抱えてるって事になりそう…。おおっ、ノーサンキューだぜベイビー!
浅草で仕事をしてた頃は、特に(色気は所作)って感じたな。あの界隈は芸事の師匠がとても多くて、今も地元の女の子が普通に稽古通いしてるのが珍しくないんだ。そうすると普段の所作ってのも違ってきてさ、たとえば三社の時期なんて地元以外の神輿担ぎが大挙して祭り装束が入り乱れる訳よ。だけど浅草の女のコって一目で分かるの、きりりとした色気というか所作が自然に決まってるから。帯の締め方がだらしない、なんてのは論外でね。
背筋や立ち居ふるまいがすっとしている、そういう女性の色気は年を重ねても衰える事はない。ただ、習い事に即効性はないからなあ。もし自分が女性で(イイ女になりたいな)って思ったとしても、結局は目先のダイエットやエアロビに走ったりするだろうけど。服とか小物に金をかけたりね。そういう買い物は、消費という楽しみと(キレイになった自分)という妄想をも与えてくれる。身につければ即座に効果が実感出来る、という満足も与えてくれる。10年、20年で二束三文だろうが。
そう、長期的なスパンで物事を見れないんだ。これは女性云々じゃなくて、今は「結果を出す」という言葉が象徴するような価値観の時代なんだな。100年後のために木を植える、9世代先の子供達に遺すという考えが根を張る土壌は期待出来そうにないのかも。
だって所作の色気を絶賛してる僕自身、思い描く「モテモテ願望」のカワイコチャンは外見優先なんだもの…。
平成15年2月11日