2004年02月29日
40*成功の習慣
僕よりギター上手くなっちゃった知人の話、噂では「彼女は毎日最低でも1時間(最高8時間?)はギターに触り続けていた」のだそうだ。僕が気まぐれに弾いたり、弾かなかったりしてた8年間とは大違いだよなあ! そりゃあ上手くなる筈だわ。
一見すると、思いつきや勢いだけで色んな事を実現してるような人なのよ(失礼!)。だけどビジョンを現実化するのが上手な人って、大抵そのように自分を習慣付ける事が出来るんだよね。
ずいぶんと昔になるけど、とある製薬会社の社長さんと接する機会があってね。その人、教育番組の語学テキストで5ヶ国語をマスターしたそうなの。最初は信じなかったのね、だって海外を行き来する多忙なスケジュールで無理に決まってるじゃん! ってさ。
でも、それから色々な人に出会って、段々と分かってきたんだ。例えば、朝起きて顔を洗う…そういう感じで、+αの要素を生活動作の一部に取り込めるかどうか。どんな些細な事柄でも、自分を習慣付けられる人は、何というか(展開が早いんだ)って。
こういう事を考える時、なぜか僕は「石〇純一の呪い」という言葉が頭をよぎるんだよなぁ。あの人は若くてまだ売れなかった頃、食うや食わずの生活なのにヴェルサーチのスーツとか着てたらしいのね。その逸話を(単なる見えっ張り)じゃなくて、僕は(成功するビジョンを体現する事で現実を引き寄せた)というふうに解釈しちゃってるんだなぁ。なんでだろ? ははは。
それってさ、岡〇太郎の「可能性というのはまやかしだ、今ないものは先にもない」という名言(ちょっと違うか)とか、野球選手の〇嶋茂雄が「打席に立つ時、既にホームランを打った気でいた」という伝説(これもちょっと違うか)相通ずる何かがある気もするのよ。
結局は若き石田氏が、ただの無茶で考えなしだったかなんて重要じゃないんだ。僕自身が、その話に何を見てるかだけの事。何を見聞きしても、大事なのは「何が事実か」という判断より「何を発見するか」という個々の問題なのだろうね。
本気で身に付けたいと思えば、僅かな時間でだって集中できるのだろう。確固たるビジョンを疑わなければ、それは叶えられるのだろう。そういう人になろうと、一丁ここらで頑張ってみよう! とは思わないんだけど、いつか僕がそうなるとしたら(結果的にそうなった)ってだけなんじゃないかなあ。
夢中になってたら、何だかいつの間に…という過去形で気が付くような「出来ちゃった人生」というのも悪くない。
ところで岡本氏の話に戻るけど(あの人は終始、趣旨一貫してたんだなぁ)って思うんだ、一つの手法=思想のようなものに貫かれているよね。その継続性、というか統一性。初期の作品から表現が研ぎ澄まされてゆくだけ、というと語弊があるけど全然よそ見したりしてフラついてないもんね。
あの人の目線(ものの見方)は非常にクリアーだったので、言葉も非常にクリアーに語られている。たから却って、彼の目線を受け取る土台を持たない人には曖昧で(言葉の核心が伝わらないだろうな)って思うんだ。
言葉の意味は個人の神話によって色付けされていて、全く違う主観を同じ言葉で伝え合わなければならない困難さと背中合わせだ……という事を、岡本氏からは常に感じる。
平成15年2月29日
2004年02月20日
39*継続する力
前回、物語について「単なるフィクション以上の何かがある」って書いた。んで改めて思い出したんだけども、僕はストーリーに引き込まれて連想が止まらなくなる時があるのね。良い物語に出会った! という直感には、それが付き物なんだよ。
話にのめり込むほど本筋から離れてゆく…というのも変な話だけど、僕にとっては優れた物語の印しなのね。それが。自分が、まるで(物語の内側に存在してるような感覚)になるんだと思う。いかに荒唐無稽な状況でも、違う位相で現実を見ている感じなんだな。そんな時の些細な頭の働きが、いつもと違う現実の見方をしてて面白いのよ。
僕は直感みたいなのって、多分ほとんど働かないのね。ま、覚えてないだけかもしれないけど。
唯一の直感は、何かが終わる感じだな。たとえば仕事ね。色々バイトしてるうち身についたのかな、何の前触れもなく電流のように来るのよ。「ビビッと」なんて月並みだけどさ、それで(あー、もう潮時なのかぁ)って急にシミジミしちゃったりしてね。
昔、某TV教育番組で「はたらくおじさん」てのがあったんだ。小学2、3年頃の社会科の授業で見せられてたんだけど、様々な職業を紹介するような内容だった。僕はデザイン科の高校を出て写真のスタジオに入ったんだけど、そこで(自分は遊び幅がなさ過ぎる)って思い知ったのね。やっぱ専門学校とか大学から来た人って、余分な幅がある気がしてさ。で、スタジオを辞めた僕は「はたらくおじさん」になる事にしたんだ。
色々な職種と勤務地で働こうって決めて、だから一つの職場で長く勤めようとか思わなかったの。たまに全然なじめない場合もあったけど、たいがいは仕事を変えるごとに働く楽しさが増していく感じだった。それは自分が気持ち良く働くコツと、そのための要素をつかむ能力が上がっていったのかもしれないね。
そんで25の頃(もういいかな)と思って就職したのね、いわゆる営業職。でも先輩から、よく「どんなに辛くても我慢すれば、将来は報われるから」というような事を言われてさ。とても良くしてくれる人だったんだけど、そうしても腑に落ちなかったんだよ。部長も社長も、ちっとも報われてなかったんだもん。
アシスタント時代に、中堅のカメラマンが言っていたのね。「フリーでやってこうとも思ったが、家庭もあるし収入が不安定だから」って。それで大志を捨ててチラシのセール品を撮り続ける生活を選んだ、にしても。あんな目の人生は(しちゃダメだ)と思ったな、僕は(絶対にそれ以外の道を行かなければ)って。
こないだ、どっかで見たような男性が郵便配達しててさ。よーく考えたら、自分と同時期にバイトで配達してた男の子だったの。もう5、6年も前の事で、今や彼は準職員の制服を着てた。僕は一年足らずで喧嘩して辞めたから(よくやるよな)としか思わなかったけど、見方によっちゃあ(公務員へのウラ技)なのかもね。
僕は(同じ仕事を一生続ける)なんて思った事ないし、そういう執着で若いうちから目が死んでしまう人も見たから興味がないのね。だからって特に(転々と変えねば)などと意識してる訳でもないし、直感には敵わないからさー。
若い頃から「一生涯の仕事が決まってる」って人になると、話は別だ。単純にスゴイと思うし、ちょっとは羨ましい。だからって僕の作詞作曲を引き合いに出されれてもね、作詞歴が四半世紀になろうと所詮は趣味だ。毎晩2、3は必ず書くという時もあるし、すっかり放り出してる時期だってある。やりたくなったらやるのと、毎日定期的に継続する事は根本的に違う。
やっぱり、継続する力って侮れない。「ラスト・サ〇ライ」で、年配の大部屋俳優がキャスティングされたって話でも思った。それよりも身近な話題としては、友人というか知人のギターね。今や関西では無名とは言えない彼女、知り合った8年前は弾けなかったのよ。でも某大手出版社から本を出したプロモーションで、ラジオ番組に出演して弾き語りをしたのね。で、今度はCD作って東京までライブやりに来るの。
ギターあげた僕より全然うまいんだわー!
平成15年2月17日
話にのめり込むほど本筋から離れてゆく…というのも変な話だけど、僕にとっては優れた物語の印しなのね。それが。自分が、まるで(物語の内側に存在してるような感覚)になるんだと思う。いかに荒唐無稽な状況でも、違う位相で現実を見ている感じなんだな。そんな時の些細な頭の働きが、いつもと違う現実の見方をしてて面白いのよ。
僕は直感みたいなのって、多分ほとんど働かないのね。ま、覚えてないだけかもしれないけど。
唯一の直感は、何かが終わる感じだな。たとえば仕事ね。色々バイトしてるうち身についたのかな、何の前触れもなく電流のように来るのよ。「ビビッと」なんて月並みだけどさ、それで(あー、もう潮時なのかぁ)って急にシミジミしちゃったりしてね。
昔、某TV教育番組で「はたらくおじさん」てのがあったんだ。小学2、3年頃の社会科の授業で見せられてたんだけど、様々な職業を紹介するような内容だった。僕はデザイン科の高校を出て写真のスタジオに入ったんだけど、そこで(自分は遊び幅がなさ過ぎる)って思い知ったのね。やっぱ専門学校とか大学から来た人って、余分な幅がある気がしてさ。で、スタジオを辞めた僕は「はたらくおじさん」になる事にしたんだ。
色々な職種と勤務地で働こうって決めて、だから一つの職場で長く勤めようとか思わなかったの。たまに全然なじめない場合もあったけど、たいがいは仕事を変えるごとに働く楽しさが増していく感じだった。それは自分が気持ち良く働くコツと、そのための要素をつかむ能力が上がっていったのかもしれないね。
そんで25の頃(もういいかな)と思って就職したのね、いわゆる営業職。でも先輩から、よく「どんなに辛くても我慢すれば、将来は報われるから」というような事を言われてさ。とても良くしてくれる人だったんだけど、そうしても腑に落ちなかったんだよ。部長も社長も、ちっとも報われてなかったんだもん。
アシスタント時代に、中堅のカメラマンが言っていたのね。「フリーでやってこうとも思ったが、家庭もあるし収入が不安定だから」って。それで大志を捨ててチラシのセール品を撮り続ける生活を選んだ、にしても。あんな目の人生は(しちゃダメだ)と思ったな、僕は(絶対にそれ以外の道を行かなければ)って。
こないだ、どっかで見たような男性が郵便配達しててさ。よーく考えたら、自分と同時期にバイトで配達してた男の子だったの。もう5、6年も前の事で、今や彼は準職員の制服を着てた。僕は一年足らずで喧嘩して辞めたから(よくやるよな)としか思わなかったけど、見方によっちゃあ(公務員へのウラ技)なのかもね。
僕は(同じ仕事を一生続ける)なんて思った事ないし、そういう執着で若いうちから目が死んでしまう人も見たから興味がないのね。だからって特に(転々と変えねば)などと意識してる訳でもないし、直感には敵わないからさー。
若い頃から「一生涯の仕事が決まってる」って人になると、話は別だ。単純にスゴイと思うし、ちょっとは羨ましい。だからって僕の作詞作曲を引き合いに出されれてもね、作詞歴が四半世紀になろうと所詮は趣味だ。毎晩2、3は必ず書くという時もあるし、すっかり放り出してる時期だってある。やりたくなったらやるのと、毎日定期的に継続する事は根本的に違う。
やっぱり、継続する力って侮れない。「ラスト・サ〇ライ」で、年配の大部屋俳優がキャスティングされたって話でも思った。それよりも身近な話題としては、友人というか知人のギターね。今や関西では無名とは言えない彼女、知り合った8年前は弾けなかったのよ。でも某大手出版社から本を出したプロモーションで、ラジオ番組に出演して弾き語りをしたのね。で、今度はCD作って東京までライブやりに来るの。
ギターあげた僕より全然うまいんだわー!
平成15年2月17日
2004年02月15日
38*反省、そして物語の事
いやはや、前回のは「世間に物申す」的な内容だったなぁ! 全体的に手直し入れたいけど、やり始めるとキリないし…。やっぱ毎日の中に動きがないからなんだよなー、仕事する以外は家で寝てるようなもんだからね。話のネタが閉塞してるような。
この空想百景ってのは「自分が見聞きしたりした経験をベースにして妄想を膨らます」という姿勢で書き連ねてゆく事にしてるのよ、コンセプトと呼ぶほどじゃあないにしても。なのに仕事場から自転車で往復10分、外界との接触が少ないから必然的に新聞とかTVとかで世間の風を見聞きした気になっちまうんだわな。だから、言葉に心がない感じ。
実は今までも何回か、そういう展開になっちまっては方向修正してるのね。うかうかしてると、すぐ個人的な価値観を押し付けるような話を仕立てちゃうんだ。で、アップしてから読み直してみて気が付くんだよなー。画面に向かって(だーかーらー、こうじゃないんだよなぁ)とダメ出ししながら、次にアップ予定の原稿を即座にチェックしたりして。
昨日もらった本(よしもと氏の新刊)に、僕が前回の「パイプ」で言葉にしたかった事が単純明快に描かれててショックだった。すでに前回の件では自己嫌悪気味だったから、余計に効いたな。もちろん力量の差は当然としても、同じ事柄について書き比べた時の違いが明確すぎてさ。あんなにも平易な表現で、さらりと勿体つけずに言えちゃうのかー! って。僕の場合、前振りに余計な情報を詰め過ぎて肝になる文章が埋もれてる…。
結構あの作家の小説って好きで殆ど読んでるんだけど、どちらかというと(小ネタの積み重ね方が巧いなぁ)という感じに思ってたのよ。日常の中で小さくキラッと光った想い、それを上手につなげてくような。でもそんな程度じゃなかったんだな。(どんな立ち位置の人でもサラッと流して読めるように書けるのって、こんなに凄い事だったんだぁ!)って思い知らされたわ。
なんでまた、こうタイミング良く同じ事を…ってガックリきたけどね。だからって挫折、とかじゃないんだな。ま、僕は物語を描いてる訳ではないし。って、言い訳か。
だけど、物語を描くのって(フィクションを作り出す)という以上の何かがないとダメなんだろう。単に筆力や状況設定だけじゃない、神話のような力が架空の話を物語に変えるんだと思う。それから物語を記述するのに適した文体というのがあって、少なくとも自分の書き方とは違う気がしてるのね。だから自分には出来ない、って意味じゃないんだけど、たとえば「〜を記述するのに適した…」なんて言い回しなんか他人事じゃんね。
ところで「チベットを馬で行く」という本を図書館で借りて読んでるのね、自分でも(なぜチベット?)そして(なぜ馬?)なんだけど妙に魅かれてさ。しかし文庫にしては厚いし記録文調なので、なかなか先に進まないの。やっとラサを出発するところで、まだ馬に乗ってもいない。あと2日で返却日なのに。
僕自身がメキシコ(とキューバ)に行ってから、やけに旅の本が目に付くようになったのよ。それは自分も書き始めてたから無意識にフォーカスしてるんだろうけど、それ故に却って読まないようにしてたの。それで、とりあえず書き終えて旅行記というジャンルの本を色々と読むようになったんだ。
自分が書いたのは(時系列に沿った事細かな記録文)だったんだけど、案外と他の人って違う書き方だったのね。土産話みたいに、関連するエピソード毎に話をみとめてく訳よ。でもこの「チベットを〜」は資料的側面もあるせいかもしれないけど、本当に旅のレポートなの。僕は(こういう書き方って、読み物としては入り込みにくいんだなー)と、しみじみ思ったのでした。
なので別枠「メキシコ旅情」も、原文から読み易く手直ししながら掲載していく事に。このままじゃトムセク自体、文章の成長記録サイトになりかねませんなー。
平成15年2月15日
(写真は本文と殆ど関係ありません)
この空想百景ってのは「自分が見聞きしたりした経験をベースにして妄想を膨らます」という姿勢で書き連ねてゆく事にしてるのよ、コンセプトと呼ぶほどじゃあないにしても。なのに仕事場から自転車で往復10分、外界との接触が少ないから必然的に新聞とかTVとかで世間の風を見聞きした気になっちまうんだわな。だから、言葉に心がない感じ。
実は今までも何回か、そういう展開になっちまっては方向修正してるのね。うかうかしてると、すぐ個人的な価値観を押し付けるような話を仕立てちゃうんだ。で、アップしてから読み直してみて気が付くんだよなー。画面に向かって(だーかーらー、こうじゃないんだよなぁ)とダメ出ししながら、次にアップ予定の原稿を即座にチェックしたりして。
昨日もらった本(よしもと氏の新刊)に、僕が前回の「パイプ」で言葉にしたかった事が単純明快に描かれててショックだった。すでに前回の件では自己嫌悪気味だったから、余計に効いたな。もちろん力量の差は当然としても、同じ事柄について書き比べた時の違いが明確すぎてさ。あんなにも平易な表現で、さらりと勿体つけずに言えちゃうのかー! って。僕の場合、前振りに余計な情報を詰め過ぎて肝になる文章が埋もれてる…。
結構あの作家の小説って好きで殆ど読んでるんだけど、どちらかというと(小ネタの積み重ね方が巧いなぁ)という感じに思ってたのよ。日常の中で小さくキラッと光った想い、それを上手につなげてくような。でもそんな程度じゃなかったんだな。(どんな立ち位置の人でもサラッと流して読めるように書けるのって、こんなに凄い事だったんだぁ!)って思い知らされたわ。
なんでまた、こうタイミング良く同じ事を…ってガックリきたけどね。だからって挫折、とかじゃないんだな。ま、僕は物語を描いてる訳ではないし。って、言い訳か。
だけど、物語を描くのって(フィクションを作り出す)という以上の何かがないとダメなんだろう。単に筆力や状況設定だけじゃない、神話のような力が架空の話を物語に変えるんだと思う。それから物語を記述するのに適した文体というのがあって、少なくとも自分の書き方とは違う気がしてるのね。だから自分には出来ない、って意味じゃないんだけど、たとえば「〜を記述するのに適した…」なんて言い回しなんか他人事じゃんね。
ところで「チベットを馬で行く」という本を図書館で借りて読んでるのね、自分でも(なぜチベット?)そして(なぜ馬?)なんだけど妙に魅かれてさ。しかし文庫にしては厚いし記録文調なので、なかなか先に進まないの。やっとラサを出発するところで、まだ馬に乗ってもいない。あと2日で返却日なのに。
僕自身がメキシコ(とキューバ)に行ってから、やけに旅の本が目に付くようになったのよ。それは自分も書き始めてたから無意識にフォーカスしてるんだろうけど、それ故に却って読まないようにしてたの。それで、とりあえず書き終えて旅行記というジャンルの本を色々と読むようになったんだ。
自分が書いたのは(時系列に沿った事細かな記録文)だったんだけど、案外と他の人って違う書き方だったのね。土産話みたいに、関連するエピソード毎に話をみとめてく訳よ。でもこの「チベットを〜」は資料的側面もあるせいかもしれないけど、本当に旅のレポートなの。僕は(こういう書き方って、読み物としては入り込みにくいんだなー)と、しみじみ思ったのでした。
なので別枠「メキシコ旅情」も、原文から読み易く手直ししながら掲載していく事に。このままじゃトムセク自体、文章の成長記録サイトになりかねませんなー。
平成15年2月15日
(写真は本文と殆ど関係ありません)
2004年02月12日
37*パイプ
名目経済成長率、これ何のコトやら? だ。どうやら不景気から回復する指標らしいんだけど。それをね、現政権だか政党だかが2006年を目安に掲げた公約の数字に合わせるために、算出方法を変えてしまったらしい。本来なら下方修正を余儀なくされる所を、半ば強引に予定通りの伸び率で年度目標を達成したそうだ。
それもまた、よく分からない話だ。でも、こうして歴史は積み重ねられてゆくのだろうな。僕らの次の世代とか、その次の世代には「2004年デフレ脱却」と単純に記憶されてゆく訳だ。下手すれば僕らだって何年もしないうちに、そういう事で納得してしまっている事だろう。算出方式を変えてしまったデータなんて、つまり何の価値もないのに!
どこをどのように変えたかは内緒にして、数字だけが堂々と残されてしまう。そういうエゲツナイ世代が滅びた後、僕らの世代は一体どれだけ後始末できるのだろう? まったく、次の世代に顔向けが出来ないったらないぜ。
データといえば、ダイオキシンの話。いつだか、国が調査結果を発表して安全性が証明された事になっているけれど、ダイオキシンには類似する構造の物質(変異体だか変位体だか変移体)が14、5種類あるのだそうだ。もちろん、公式発表されたのは1種類だけ。だから下手すれば土の中には、その14、5倍のダイオキシン仲間があるかもしれないんだって。当然ながら国が知らない訳もなく、全種類の調査をした上でダイオキシンという名前の物質についてだけ公表したんだそうだ。
考えようによっては、安全性を実証できるデータを抜き出して公表したって事か? つまり、データが間違ってはいないけれど正確ではない。それで意味あんのかねぇ。
同様に、放射能漏れの話。あの時期、近隣住民にガイガーカウンターを向けて放射能汚染を調べる映像が流れた。何となくTVで見た覚えがあるよね? でもね、あれで反応してたら機械が異常なんだって。人体の被爆度を検査するには、もっと精密な機械があるんだそうだ。て事は、あれはヤラセみたいな映像のトリックじゃんね。
そういう事は、今や知ろうと思えば調べられる事なのかもしれない。しかし、自分の食べる物から空気や地質そして放射能まで…途方もなく思えちゃうよ。自己責任、それを言うのは容易いが、現実問題として意識し続けるのは至難だわ。
少し前に、渋谷で無差別殺人(ではないのかな)事件があった。自分の知り合いが「遊び仲間が、その犯人を知ってた」と言ってた。女性の全裸死体が見つかった新聞屋、あれは自分が通った中学の通学路にあった(近所って事ね)。
そうかー、と思った。
僕が、僕の知り合いとパイプを持つ。そのようにして、世界中の知り合い同士がパイプを持っていると、僕の持ってるパイプにも今まで他人事としか思えなかった出来事の現場から流れてくるに違いない。それは苦い水かもしれないし、甘い水かもしれない。
実際には、目には見えなくても同じ事なんだろう。誰かの些細な決断なり言動が交じり合って、僕の口や鼻から入り込んでいる。自分の選択と眼差しが、遠くで起こる意外な出来事に流れ込んでゆくのだとしたら。
この世界は、ここに生きる人間の数だけ複雑かつシンプルなのだろう。
見えないけれど、確かに人間はつながっているし、誰かの責任でもないのだと思う。
パイプで思い出したが、氣の流れというものでいうと、氣が停滞していると心身に障害をもたらすらしい。第三者が氣を修復する時に、悪い氣を取り込んでしまわない方法として、こんなのがあるらしい。自分の氣で治すという発想でなく、自分を天地の氣を流すパイプにするのだそうだ。
自分も、そのスキルも媒介でしかないという発想。それは、どこかインディアンのタバコの儀式に通じるような気がする。
平成15年2月11日
それもまた、よく分からない話だ。でも、こうして歴史は積み重ねられてゆくのだろうな。僕らの次の世代とか、その次の世代には「2004年デフレ脱却」と単純に記憶されてゆく訳だ。下手すれば僕らだって何年もしないうちに、そういう事で納得してしまっている事だろう。算出方式を変えてしまったデータなんて、つまり何の価値もないのに!
どこをどのように変えたかは内緒にして、数字だけが堂々と残されてしまう。そういうエゲツナイ世代が滅びた後、僕らの世代は一体どれだけ後始末できるのだろう? まったく、次の世代に顔向けが出来ないったらないぜ。
データといえば、ダイオキシンの話。いつだか、国が調査結果を発表して安全性が証明された事になっているけれど、ダイオキシンには類似する構造の物質(変異体だか変位体だか変移体)が14、5種類あるのだそうだ。もちろん、公式発表されたのは1種類だけ。だから下手すれば土の中には、その14、5倍のダイオキシン仲間があるかもしれないんだって。当然ながら国が知らない訳もなく、全種類の調査をした上でダイオキシンという名前の物質についてだけ公表したんだそうだ。
考えようによっては、安全性を実証できるデータを抜き出して公表したって事か? つまり、データが間違ってはいないけれど正確ではない。それで意味あんのかねぇ。
同様に、放射能漏れの話。あの時期、近隣住民にガイガーカウンターを向けて放射能汚染を調べる映像が流れた。何となくTVで見た覚えがあるよね? でもね、あれで反応してたら機械が異常なんだって。人体の被爆度を検査するには、もっと精密な機械があるんだそうだ。て事は、あれはヤラセみたいな映像のトリックじゃんね。
そういう事は、今や知ろうと思えば調べられる事なのかもしれない。しかし、自分の食べる物から空気や地質そして放射能まで…途方もなく思えちゃうよ。自己責任、それを言うのは容易いが、現実問題として意識し続けるのは至難だわ。
少し前に、渋谷で無差別殺人(ではないのかな)事件があった。自分の知り合いが「遊び仲間が、その犯人を知ってた」と言ってた。女性の全裸死体が見つかった新聞屋、あれは自分が通った中学の通学路にあった(近所って事ね)。
そうかー、と思った。
僕が、僕の知り合いとパイプを持つ。そのようにして、世界中の知り合い同士がパイプを持っていると、僕の持ってるパイプにも今まで他人事としか思えなかった出来事の現場から流れてくるに違いない。それは苦い水かもしれないし、甘い水かもしれない。
実際には、目には見えなくても同じ事なんだろう。誰かの些細な決断なり言動が交じり合って、僕の口や鼻から入り込んでいる。自分の選択と眼差しが、遠くで起こる意外な出来事に流れ込んでゆくのだとしたら。
この世界は、ここに生きる人間の数だけ複雑かつシンプルなのだろう。
見えないけれど、確かに人間はつながっているし、誰かの責任でもないのだと思う。
パイプで思い出したが、氣の流れというものでいうと、氣が停滞していると心身に障害をもたらすらしい。第三者が氣を修復する時に、悪い氣を取り込んでしまわない方法として、こんなのがあるらしい。自分の氣で治すという発想でなく、自分を天地の氣を流すパイプにするのだそうだ。
自分も、そのスキルも媒介でしかないという発想。それは、どこかインディアンのタバコの儀式に通じるような気がする。
平成15年2月11日
2004年02月02日
36*「温か〜い」?
あんまり見なくなったけど、冬場になると缶コーヒーの自販機に「温か〜い」と大書きされた張り紙が出てたよね。小学生の頃、それを見るにつけ妙に違和感があってさ。(この漢字の使い方、正しいんだけど何か変)と思ってたんだわ。却って「これは生ぬるいですから」と断りを入れてるような感じで。
ちょっと前に、コピーライターの書いた入門書的な文章を読んだのね。その中に、こんなような事が書いてあった。曰く「たとえばフルーツの写真に『新鮮』というコピーを置くと、『鮮』の字に含まれる魚が生臭い視覚的印象を生むので云々…」。つまり宣伝文句を吟味する上での、言葉をビジュアルで捉えるという感覚ね。それが僕には新鮮で、面白いと思ったんだ。と同時に、かつて「温か〜い」の張り紙に覚えた違和感も分かった気がしたのよ。「温か〜い」じゃ生ぬるくって、飲む気も失せる感じがしたんだわ。
それはともかく、冬の飲み物といえば甘酒でしょう。近所の神社に初詣でに行くと甘酒が振る舞われるんだけど、しかし何故か必ず米が入っているのね。家で作るのには酒粕を使うのが当たり前だったから、米こうじの甘酒が本式とはいえど(僕的には)酒粕がよろしい。
あと缶入りの粉末レモンティーね(アップルティーもある)、ただ飲み続けると飽きるな。ココアも美味しいんだけど、つい分量をケチッて味の薄いココアになってしまうよね。そうでもしないと2、3日しか持たないという訳で、自宅で気軽に美味しいココアは飲めなかったりする。梅こぶ茶も飽きが早いし、お湯割りカルピスは冷水で作るより味がくどくなるし…。
そこでホットポー。これが自分的に冬の新定番なんだが、全然ないのね最近。こないだも仕事帰りに近所のコンビニ5軒も回ったってのに。ちっともCMしてないから、ひょっとしたら絶版商品になっちゃったのかもなぁ。
そうそう、関係ないけどポカリスウェットの話。イオン飲料の、医療機関でのシェアは圧倒的にこの銘柄なんだよね。水分の吸収率が水より高いせいなのか、電解質が関係あるのか知らないけれど、お医者さんが患者さんに勧める事が多いらしいの。イオン飲料なら何だって構わないんだろうけど、年寄りとかの患者さんに「イオン電解質飲料の…」なんて説明したって分からないよなぁ。で、「ポカリ」なんだって。
製薬会社の販売網で優位だったのは想像に難くないとしても、なんで先発したゲータレードがイオン飲料の代名詞にならなかったのか? って考えると不思議だけど。ま、値段が高かったもんな。
新しい物が世に出ると、その商品名のほうが代名詞になってしまうパターンってよくあるよね。クラクションとか味の素にマヨネーズなどなど、ウォークマンは海外だとメーカー名(S〇NY)のほうが通りが良いとか…? どっちにしろ「ヘッドホンラジカセ」より呼びやすいし。
ブギーボードも本当はボディボードで、ローラーブレードも実はインライン・スケートなんだけどね。
あーっ! 両方とも(またいつかやろう)と思ってて、うかうかしてたら早10年…。
平成15年2月2日
ちょっと前に、コピーライターの書いた入門書的な文章を読んだのね。その中に、こんなような事が書いてあった。曰く「たとえばフルーツの写真に『新鮮』というコピーを置くと、『鮮』の字に含まれる魚が生臭い視覚的印象を生むので云々…」。つまり宣伝文句を吟味する上での、言葉をビジュアルで捉えるという感覚ね。それが僕には新鮮で、面白いと思ったんだ。と同時に、かつて「温か〜い」の張り紙に覚えた違和感も分かった気がしたのよ。「温か〜い」じゃ生ぬるくって、飲む気も失せる感じがしたんだわ。
それはともかく、冬の飲み物といえば甘酒でしょう。近所の神社に初詣でに行くと甘酒が振る舞われるんだけど、しかし何故か必ず米が入っているのね。家で作るのには酒粕を使うのが当たり前だったから、米こうじの甘酒が本式とはいえど(僕的には)酒粕がよろしい。
あと缶入りの粉末レモンティーね(アップルティーもある)、ただ飲み続けると飽きるな。ココアも美味しいんだけど、つい分量をケチッて味の薄いココアになってしまうよね。そうでもしないと2、3日しか持たないという訳で、自宅で気軽に美味しいココアは飲めなかったりする。梅こぶ茶も飽きが早いし、お湯割りカルピスは冷水で作るより味がくどくなるし…。
そこでホットポー。これが自分的に冬の新定番なんだが、全然ないのね最近。こないだも仕事帰りに近所のコンビニ5軒も回ったってのに。ちっともCMしてないから、ひょっとしたら絶版商品になっちゃったのかもなぁ。
そうそう、関係ないけどポカリスウェットの話。イオン飲料の、医療機関でのシェアは圧倒的にこの銘柄なんだよね。水分の吸収率が水より高いせいなのか、電解質が関係あるのか知らないけれど、お医者さんが患者さんに勧める事が多いらしいの。イオン飲料なら何だって構わないんだろうけど、年寄りとかの患者さんに「イオン電解質飲料の…」なんて説明したって分からないよなぁ。で、「ポカリ」なんだって。
製薬会社の販売網で優位だったのは想像に難くないとしても、なんで先発したゲータレードがイオン飲料の代名詞にならなかったのか? って考えると不思議だけど。ま、値段が高かったもんな。
新しい物が世に出ると、その商品名のほうが代名詞になってしまうパターンってよくあるよね。クラクションとか味の素にマヨネーズなどなど、ウォークマンは海外だとメーカー名(S〇NY)のほうが通りが良いとか…? どっちにしろ「ヘッドホンラジカセ」より呼びやすいし。
ブギーボードも本当はボディボードで、ローラーブレードも実はインライン・スケートなんだけどね。
あーっ! 両方とも(またいつかやろう)と思ってて、うかうかしてたら早10年…。
平成15年2月2日
2004年01月28日
35*冬の床
前回が冬の話だったので、今回は常夏の話を一席。という訳で、グアムでダイビングした時の事。
実は未経験だったのに「うっかり日本にライセンスを忘れてきた」と一芝居、とぼけて潜ったのだ(本格的にやってる方には恐縮なんですが)。とはいえプールの監視員をしてたので、フィンとシュノーケリングの使い方はバッチリだったし、ダイバーの友人にバディのサインや潜水病の予防などを教え込まれていたけどね。そりゃあ命は惜しいさ。
で、まんまとピックアップトラックに揺られて海へ。草むらの中の未舗装ロコ道、砂ぼこり蹴立ててBGMはスモーキー・ロビンソン&ミラクルズの「トラック・オブ・マイ・ティアーズ」という、ベリー・ナイスなイントロで小型の船に乗り込んだ。
入り江の小島を縫って湾の外へ、1本目は沖合の沈船ポイント。最初は海面の反射で気が付かなかったけど、エア抜きで軽く潜ってパニック寸前! 足元のはるか下に巨大な物体、その特殊な圧迫感は経験者なら分かるよね。まさに地に足が着いてない、心もとない心境。
昔の特撮で、初回に主人公5人が「深海調査の事故で窒息死(!)」という過程で改造人間になる戦隊モノがあったのね。あの映像が子供心に焼き付いちゃっててさ、水への恐怖はなくても沈船探検は遠慮したよ。もし自分が改造人間になりたくなったとしても、海で死ぬ目に遭うのだけは絶対ヤダ。
2本目のダイビング・ポイントは、異様に何もない場所。魚影すらも見えない、延々とフラットな砂の海底。そんなポイントを選ぶセンスを疑うが、月面の上を遊泳するようなクールさは不思議な快感だったんだよ。自分の真下が仄かに明るく、透明度の低い虚空…。あの眺めって、僕が今までに見た唯一の「死の世界」だったのかもなぁ。
昼食後のサンゴ礁でのシュノーケリングや、午後(3本目)の熱帯魚の餌やりも楽しかったよ。でもね、それ以上に楽しかったの。生命の気配ゼロの場所が。体温と同じ位の水温で、たまに吹き付ける風のように冷水が押し寄せてくる感覚もね。幻想的な虚無。本当に一人ぼっちで、寂しくも怖くもなかった。むしろ、そっちへと引かれていく自分自身が少しヤバかったような。
ところで関係ないけどさ、もうすぐ春という今時分の寒さってのは特に堪えるよね、どんなに寒い冬よりも。それは「夜明け前が最も暗い」という言葉に、どこか似ている気もする。そんな中、もう鉢植えのチューリップが咲いていたのを見つけたの。うん、そうなんだよな。これからの日々は、路地の彩りが怒涛の勢いで更新されてゆくんだ。次々と開花してゆく、植物の生命力は何と貪欲なのだろう!
春先の小糠雨、柔らかな雨上がりのふくよかな空気に香る若芽。まだ肌寒く淀んだ空にも、熱帯性低気圧のざわめきが暖かさを運び込んでくるのが分かるようになる。しかしまだ温泉に恋い焦がれる僕は、せいぜい重い腰を上げて近所の銭湯で行った気になるのよ。
だいぶ減ったとはいえ、まだこの辺は銭湯が健闘してるのが有り難い。宮崎監督が外観のモチーフに選んだ湯屋も、移築前はこの地域にあったんだけどね。ところで銭湯の脱衣所ってさ、妙に異国な空間じゃない? 南方アジアを思わせる、開放的な間取りと蒸れたような空気。全体的に木目で、ゴザみたいな床。端っこが捲れ上がった化粧板のテーブルに、チープな灰皿。なーんていうか、雰囲気がゆるいんだよね。マイナスイオンのせいか?
でもって、湯船に浸かる時の、独特の気持ち良さね。温泉のようだけど、やっぱ違った趣なのよ。一言でいうなら「水〜っ!」って感じ(正確にはお湯か)。なんか訳もなく心躍る、くすぐったいよなアホみたいな気持ち良さ。あれってなんなのかね?
っていうか、そんな感じを言い表す言葉が今もって生まれないままなのは何故なんだろう? 敢えて言うなら、たとえば冬の寝床に就く時の、掛け布団とシーツの冷たい肌触りに(ウヒャッ!)となる感覚。…って、そう感じるのは僕だけだったりしてな。
平成15年1月27日
実は未経験だったのに「うっかり日本にライセンスを忘れてきた」と一芝居、とぼけて潜ったのだ(本格的にやってる方には恐縮なんですが)。とはいえプールの監視員をしてたので、フィンとシュノーケリングの使い方はバッチリだったし、ダイバーの友人にバディのサインや潜水病の予防などを教え込まれていたけどね。そりゃあ命は惜しいさ。
で、まんまとピックアップトラックに揺られて海へ。草むらの中の未舗装ロコ道、砂ぼこり蹴立ててBGMはスモーキー・ロビンソン&ミラクルズの「トラック・オブ・マイ・ティアーズ」という、ベリー・ナイスなイントロで小型の船に乗り込んだ。
入り江の小島を縫って湾の外へ、1本目は沖合の沈船ポイント。最初は海面の反射で気が付かなかったけど、エア抜きで軽く潜ってパニック寸前! 足元のはるか下に巨大な物体、その特殊な圧迫感は経験者なら分かるよね。まさに地に足が着いてない、心もとない心境。
昔の特撮で、初回に主人公5人が「深海調査の事故で窒息死(!)」という過程で改造人間になる戦隊モノがあったのね。あの映像が子供心に焼き付いちゃっててさ、水への恐怖はなくても沈船探検は遠慮したよ。もし自分が改造人間になりたくなったとしても、海で死ぬ目に遭うのだけは絶対ヤダ。
2本目のダイビング・ポイントは、異様に何もない場所。魚影すらも見えない、延々とフラットな砂の海底。そんなポイントを選ぶセンスを疑うが、月面の上を遊泳するようなクールさは不思議な快感だったんだよ。自分の真下が仄かに明るく、透明度の低い虚空…。あの眺めって、僕が今までに見た唯一の「死の世界」だったのかもなぁ。
昼食後のサンゴ礁でのシュノーケリングや、午後(3本目)の熱帯魚の餌やりも楽しかったよ。でもね、それ以上に楽しかったの。生命の気配ゼロの場所が。体温と同じ位の水温で、たまに吹き付ける風のように冷水が押し寄せてくる感覚もね。幻想的な虚無。本当に一人ぼっちで、寂しくも怖くもなかった。むしろ、そっちへと引かれていく自分自身が少しヤバかったような。
ところで関係ないけどさ、もうすぐ春という今時分の寒さってのは特に堪えるよね、どんなに寒い冬よりも。それは「夜明け前が最も暗い」という言葉に、どこか似ている気もする。そんな中、もう鉢植えのチューリップが咲いていたのを見つけたの。うん、そうなんだよな。これからの日々は、路地の彩りが怒涛の勢いで更新されてゆくんだ。次々と開花してゆく、植物の生命力は何と貪欲なのだろう!
春先の小糠雨、柔らかな雨上がりのふくよかな空気に香る若芽。まだ肌寒く淀んだ空にも、熱帯性低気圧のざわめきが暖かさを運び込んでくるのが分かるようになる。しかしまだ温泉に恋い焦がれる僕は、せいぜい重い腰を上げて近所の銭湯で行った気になるのよ。
だいぶ減ったとはいえ、まだこの辺は銭湯が健闘してるのが有り難い。宮崎監督が外観のモチーフに選んだ湯屋も、移築前はこの地域にあったんだけどね。ところで銭湯の脱衣所ってさ、妙に異国な空間じゃない? 南方アジアを思わせる、開放的な間取りと蒸れたような空気。全体的に木目で、ゴザみたいな床。端っこが捲れ上がった化粧板のテーブルに、チープな灰皿。なーんていうか、雰囲気がゆるいんだよね。マイナスイオンのせいか?
でもって、湯船に浸かる時の、独特の気持ち良さね。温泉のようだけど、やっぱ違った趣なのよ。一言でいうなら「水〜っ!」って感じ(正確にはお湯か)。なんか訳もなく心躍る、くすぐったいよなアホみたいな気持ち良さ。あれってなんなのかね?
っていうか、そんな感じを言い表す言葉が今もって生まれないままなのは何故なんだろう? 敢えて言うなら、たとえば冬の寝床に就く時の、掛け布団とシーツの冷たい肌触りに(ウヒャッ!)となる感覚。…って、そう感じるのは僕だけだったりしてな。
平成15年1月27日
2004年01月20日
34*冬のテイスト
僕は寒いところより暑い所が好きなので、冬になると南国指向は一層高まる。
しかし子供の頃は毎年のように雪だるまを作ったり、他人の作ったカマクラに入ったりしていたものだ。つまりそんだけ雪がよく降ったって事で、近年よりもっと寒かったに違いない。集団登校のアスファルトが結露して滑りやすくなり、 土を見つけると霜柱を踏み荒らし、バケツや水たまりに張った氷を威勢よく割ってたもんね。半ズボンで。
メキシコから帰ってくる飛行機の窓から、富士山の先に黒いドームが見えたんだ。そこが自分の住み暮らしてきた土地で、あの凄い大気の底で空を見上げてきたのかと思うとゾッとしたよ。成田に着いて、物哀しい気持ちになったもんな。雪は降らなくなり、星も見えなくなる訳さ。
それでも冬は、相変わらず寒い! そして空気は澄んでくるんだなぁ。春から秋の空気が埃っぽいって事を思い出させてくれる、その程度には空気が旨くなる気がするな。南米チリのブエノスアイレスは、語源が「良い空気」なのだそうだ。という割に大気汚染が激しくて、名前負けして久しいらしいけど。あの街も東京のように、すっぽりと闇のような半円に覆われて見えるのだろうか。
僕は未だに、北海道には行った事がない。仕事絡みで秋田には行ったけれど、それ以外で東北には足を踏み入れた事がない。外国も、真冬のソウルは修学旅行と仕事だし、初冬のシアトルはメキシコ帰りのストップオーバーだった。南国指向の自分が、進んで寒い場所に行く筈がないわな。温泉は伊豆でも満喫出来るんだし。
だけど、星野さんという写真家の本には心を動かされてしまうんだ。彼の写真もそうだが文章も不思議と、雪の朝に目が冴えて外に出てしまう時の静かな温度が感じられるの。彼はアラスカで活動してたからか、雪や氷河やオーロラがなくっても、陽光あふれる海や森なんかを撮っても冬の良い匂いがあるんだ。
いわゆるプロの写真家が撮ると、大抵あざとさが鼻につくっていうか万人向けな分だけ無味無臭になっちゃう気がするのね、そこに何が写っててもさ。かなり前だけど、知り合いが「イルカの写真展」てのを開催したのね。ただイルカが好きで、基本的には写真の素人が集まって。でもドキドキさせられたの、ブレてたり被写体が端っこだったりするのに。中には本職の写真家も出展していたんだけど、その構図なり露出なりが完璧であるほど(リアルじゃない)って感じたんだわ。視線がエモーショナルじゃないの。
それからしばらくして、コマーシャル・ベースじゃない写真家が出てきて、マニュアル操作でバルブ撮影(要するにシャッターを開けっ放しにする事)できるカメラが売れたり手振れやピンボケが味として評価されるようになってきた。そういうのって、表現としてリアルだと思う。
表現って、稚拙から洗練されて進化してゆくじゃない? 古典的な技巧とか芸能には、洗練の極みとして型が生まれるけど、その停滞を打ち破る新たな稚拙さってのはエモーショナルな何かなんだろうなあ。その革新性を語る理論は後から付いてくるものだから、それらしく解説されてしまうようになったらヒップホップ・ムーブメントだって既にリアルさは失われてしまったって事かも。ま、全盛期からは20年も経っちゃってるからねぇ。
そう考えると、あの空白と揶揄された80年代にもストリート・カルチャーが生まれたり、テクノ〜ニューウェーブが後世に残ったりしてた訳だ。とすれば、90年代以降って何かあったかなぁ? 下手すると80年代後期のネオ・サイケとかネオGSから延々とリバイバルしっ放しだったりして。
未だ世紀末から覚めやらず、ってか。
平成15年1月20日
2003年12月26日
33*自己批評的空想百景
さて、短めにしてみた前回までの3話。やってみての感想は(やはり違うな)でしたが、読まれた方々はどのように思われたでしょう?
文字数でいうと、通常が2,000文字を越える量なのに対し、1,500文字程度に抑えてみたんです。つまり短いといっても、たった500字減らしただけ。しかしながら、この「空想百景」と名付けたコーナーには合わなかった気がして。一応は(ひとつの内容を3分割する)という感じで、視点は一緒で角度を変えたつもりだったのよ。でも1話ごとだと、一本調子で論文みたいな…。
たとえば新聞の社説とか、体験レポートなんかだったらオッケーだと思うの。話の筋道から脱線しない、まっすぐに展開する書き方ね。だけど僕の中では、ここは何かを論じるとか報じる場所じゃあないんだな。むしろ脱線なり逸脱なりで、3段論法ならぬ3段抜かしで小ネタから小ネタへ飛躍したい訳。それを文字数を削ってやるなんて、力量あれば可能かもしれないけど僕には無理だわ。そう思った。
内容に関しては、趣味の話題だと専門的な片寄りが出て説明が増えそうなので気を付けているつもり。あとは資料なんか引っ張り出さずに、うろ覚えの不正確なまんまで確かめない事にしてる。それを始めるとキリがないし、勢いが萎えるからなんだけど。あとは固有名詞は出来るだけ使わないようにしたり、伏せ字にしたりしてるかな。これは検索に引っ掛かったりして、特定の固有名詞に関する情報として読まれたくないから。ま、そこまで気にするほどじゃないだろうけど。それと、身の丈を越えないように。
と、こうやって書き出すと決め事だらけみたいだなあ。そんな気はないんだけどさ、何だってルールがないと面白くないからね。エッセイだかコラムだかを読むのは田口ラ〇ディも好きなんだけど、もし自分が書くんだったら池澤〇樹の月面宙返りを狙ってみたかったのよ。意外な着地、って感じを。とはいえ真似するのは難しそうなんで、も少し間口を広げて不時着あたりを目論んでいる次第なのね。首尾のほうは、ともかくとして。
ところで最近、高橋源〇郎の書いた文芸批評(批判ではない)を読んでる。ファンというほど読んではいないけど、僕の言葉や文章にとって特別な存在なんだ。その彼のデビュー作に出会ったのは二十頃だったっけ、そんで詩人としての自分を改めて意識させられんだよなぁ。
小学6年の国語の時間、将来の夢という授業があったんだ。僕は「作家」と答えたのね、物書きじゃなくて「作る人」という意味で。だってクリエイターなんて言葉がまだ存在しなかったから、他に言いようがなかったんだもん。それから何年も経って、僕は自分を詩人という事にしたの。誰かに言ったりはしなかったけど。以来、僕は具体的な定義は何もないまま詩人でいる。多分この先どんな肩書もないと思う、未来の夢だって未だにないし。
実は「作家」と答えたのも、将来の夢なんて思い浮かばなかったからなのよ。単に自分の好きな事を、好きなようにしていたいだけだったんだ。だから職業としても生き方としても夢が無いままで、だけど結果的に望んだ通りにはなってきているんだけど。自称で良ければ、僕は既に絵描きで作詞作曲家なのだ。もしかしたらネットコラムニストかもしれないし、写真家かもしれない。
小説のような長い文章は、中学2年の時によく書いてた。でもそれっきり、5年前にメキシコ旅行の日記から書き起こすまで長いブランクがあったんだ。詩とは違って文章を組み立てていく、その筋力というのは絵や音楽の比じゃなくてさ。たかが一カ月の旅行記を書くだけで3年もかかっちまったよ。だけど、そこら辺から言葉や文章に対する自分の反応が変わったと思う。それが以前と何が違うのか、うまく説明出来ないんだけど。
今年の初めに、友人が書いた物語を読ませてもらったの。そして(自分の言葉は物語向きじゃないな)って感じたんだ、架空の世界を描くのには向かないとね。いつかは書けるようになるかもしれないにしても、今の僕は筋書きのない読み物を書く事にしよう…。そうして、ここにコラムだか何だか判らないコーナーを設けさせてもらった訳ですな。
そんな空想百景、いつも読んでくれて有り難う。そういえば、他者を意識して何か作るってのは初めてなんだ。だから、読み手を無視して書いてるんじゃないのですよ。意外だった?
平成15年12月19日
文字数でいうと、通常が2,000文字を越える量なのに対し、1,500文字程度に抑えてみたんです。つまり短いといっても、たった500字減らしただけ。しかしながら、この「空想百景」と名付けたコーナーには合わなかった気がして。一応は(ひとつの内容を3分割する)という感じで、視点は一緒で角度を変えたつもりだったのよ。でも1話ごとだと、一本調子で論文みたいな…。
たとえば新聞の社説とか、体験レポートなんかだったらオッケーだと思うの。話の筋道から脱線しない、まっすぐに展開する書き方ね。だけど僕の中では、ここは何かを論じるとか報じる場所じゃあないんだな。むしろ脱線なり逸脱なりで、3段論法ならぬ3段抜かしで小ネタから小ネタへ飛躍したい訳。それを文字数を削ってやるなんて、力量あれば可能かもしれないけど僕には無理だわ。そう思った。
内容に関しては、趣味の話題だと専門的な片寄りが出て説明が増えそうなので気を付けているつもり。あとは資料なんか引っ張り出さずに、うろ覚えの不正確なまんまで確かめない事にしてる。それを始めるとキリがないし、勢いが萎えるからなんだけど。あとは固有名詞は出来るだけ使わないようにしたり、伏せ字にしたりしてるかな。これは検索に引っ掛かったりして、特定の固有名詞に関する情報として読まれたくないから。ま、そこまで気にするほどじゃないだろうけど。それと、身の丈を越えないように。
と、こうやって書き出すと決め事だらけみたいだなあ。そんな気はないんだけどさ、何だってルールがないと面白くないからね。エッセイだかコラムだかを読むのは田口ラ〇ディも好きなんだけど、もし自分が書くんだったら池澤〇樹の月面宙返りを狙ってみたかったのよ。意外な着地、って感じを。とはいえ真似するのは難しそうなんで、も少し間口を広げて不時着あたりを目論んでいる次第なのね。首尾のほうは、ともかくとして。
ところで最近、高橋源〇郎の書いた文芸批評(批判ではない)を読んでる。ファンというほど読んではいないけど、僕の言葉や文章にとって特別な存在なんだ。その彼のデビュー作に出会ったのは二十頃だったっけ、そんで詩人としての自分を改めて意識させられんだよなぁ。
小学6年の国語の時間、将来の夢という授業があったんだ。僕は「作家」と答えたのね、物書きじゃなくて「作る人」という意味で。だってクリエイターなんて言葉がまだ存在しなかったから、他に言いようがなかったんだもん。それから何年も経って、僕は自分を詩人という事にしたの。誰かに言ったりはしなかったけど。以来、僕は具体的な定義は何もないまま詩人でいる。多分この先どんな肩書もないと思う、未来の夢だって未だにないし。
実は「作家」と答えたのも、将来の夢なんて思い浮かばなかったからなのよ。単に自分の好きな事を、好きなようにしていたいだけだったんだ。だから職業としても生き方としても夢が無いままで、だけど結果的に望んだ通りにはなってきているんだけど。自称で良ければ、僕は既に絵描きで作詞作曲家なのだ。もしかしたらネットコラムニストかもしれないし、写真家かもしれない。
小説のような長い文章は、中学2年の時によく書いてた。でもそれっきり、5年前にメキシコ旅行の日記から書き起こすまで長いブランクがあったんだ。詩とは違って文章を組み立てていく、その筋力というのは絵や音楽の比じゃなくてさ。たかが一カ月の旅行記を書くだけで3年もかかっちまったよ。だけど、そこら辺から言葉や文章に対する自分の反応が変わったと思う。それが以前と何が違うのか、うまく説明出来ないんだけど。
今年の初めに、友人が書いた物語を読ませてもらったの。そして(自分の言葉は物語向きじゃないな)って感じたんだ、架空の世界を描くのには向かないとね。いつかは書けるようになるかもしれないにしても、今の僕は筋書きのない読み物を書く事にしよう…。そうして、ここにコラムだか何だか判らないコーナーを設けさせてもらった訳ですな。
そんな空想百景、いつも読んでくれて有り難う。そういえば、他者を意識して何か作るってのは初めてなんだ。だから、読み手を無視して書いてるんじゃないのですよ。意外だった?
平成15年12月19日
2003年12月09日
32*帰る場所(短編3)
たった2年間だけだった、親元を離れて自活してたのは。その最後の冬に、僕は外壁補修のバイトをやってたの。そこそこの金額で週払いだったから、嫌々ながらも仕事に行ってた。夢も大志もあるじゃなし、しかも暮らしはジリ貧状態。恋人も友達もない、なぁーんか殺伐とした心模様だったなあ。でも毎日(困ってる人に募金したい)とか思ってた分だけ、犯罪者になる可能性は薄かったけど。
その仕事で、郊外の巨大な病院に行ったんだ。屋上近くの壁に張り付いてさ、見渡すと遮る物は地平線まで何もない勢いよ。透き通るような大空を映すガラス窓、向こう側の部屋には白いベッドがあって。誰かいるのに気配はなくて、何も見ないようにしてたけどね。足場の上では、人の生き死になんて考えたくもないからさ。
某マンモス団地にも行ったな。団地の屋上までエレベーターで上がってから、手摺りを越えて足場に移るのね。ぴゅーって風が吹き付けて眺めると、地上の地下鉄は本当に頼りない命綱に見えたな。まるで外界との接触を断ちたいのかって位、周囲には目ぼしい町並みもないし。まるで糸でつながれただけの、孤立した都市のようだと思った。生活に必要な店は一通り揃っててさ、団地内ですべて事足りちゃうのもね。
眼下に拡がる団地の景観は小綺麗で明るくて、計画的に配置された緑とレンガの小路、噴水の周りにベンチがあってさ。どしっと構えた建造物群に、隙間なく仕切られた窓があって…。それは人の住処というより、蚕棚っぽく見えちゃったのね。快適そうに造成されてるのが却ってウソ臭く感じてしまった。実は(落下の名所)とか言われてたんだけど、他所の住人が飛び降りるんじゃないなって…なんとなく思った。
古い西洋の言葉で「死を想え(メメント・モリ)」というのは、どこか日本の武士道に通じるものがあるような気がする。もちろん命を軽く見積もるとかではなくて、突然やって来るかもしれない終わりの瞬間を意識しながら生きる、という意味で。インディアンの言葉で「輪を閉じる」というのもまた、そういう感覚に似てるんじゃないかな。「今日は死ぬのに良い日だ」っていう詩を読むと、民族とか信仰とか価値観が違っていても人間には相通じる感性がある気がしてくる。
かつては死が身近にあったのに、現代社会では自分で死ぬという選択さえ許されない。といって誤解を招くと困るけど、問題は死ぬ事じゃなくて生きる事なんだ。様々な装置によって強制的に生かされている人々の、定義の上では生きているという状態を遮断する決定権は誰にもないって事も含めて。
人の夢、と書いて(はかない)と読む…そこに儚さがあるような。
平成15年12月9日
その仕事で、郊外の巨大な病院に行ったんだ。屋上近くの壁に張り付いてさ、見渡すと遮る物は地平線まで何もない勢いよ。透き通るような大空を映すガラス窓、向こう側の部屋には白いベッドがあって。誰かいるのに気配はなくて、何も見ないようにしてたけどね。足場の上では、人の生き死になんて考えたくもないからさ。
某マンモス団地にも行ったな。団地の屋上までエレベーターで上がってから、手摺りを越えて足場に移るのね。ぴゅーって風が吹き付けて眺めると、地上の地下鉄は本当に頼りない命綱に見えたな。まるで外界との接触を断ちたいのかって位、周囲には目ぼしい町並みもないし。まるで糸でつながれただけの、孤立した都市のようだと思った。生活に必要な店は一通り揃っててさ、団地内ですべて事足りちゃうのもね。
眼下に拡がる団地の景観は小綺麗で明るくて、計画的に配置された緑とレンガの小路、噴水の周りにベンチがあってさ。どしっと構えた建造物群に、隙間なく仕切られた窓があって…。それは人の住処というより、蚕棚っぽく見えちゃったのね。快適そうに造成されてるのが却ってウソ臭く感じてしまった。実は(落下の名所)とか言われてたんだけど、他所の住人が飛び降りるんじゃないなって…なんとなく思った。
古い西洋の言葉で「死を想え(メメント・モリ)」というのは、どこか日本の武士道に通じるものがあるような気がする。もちろん命を軽く見積もるとかではなくて、突然やって来るかもしれない終わりの瞬間を意識しながら生きる、という意味で。インディアンの言葉で「輪を閉じる」というのもまた、そういう感覚に似てるんじゃないかな。「今日は死ぬのに良い日だ」っていう詩を読むと、民族とか信仰とか価値観が違っていても人間には相通じる感性がある気がしてくる。
かつては死が身近にあったのに、現代社会では自分で死ぬという選択さえ許されない。といって誤解を招くと困るけど、問題は死ぬ事じゃなくて生きる事なんだ。様々な装置によって強制的に生かされている人々の、定義の上では生きているという状態を遮断する決定権は誰にもないって事も含めて。
人の夢、と書いて(はかない)と読む…そこに儚さがあるような。
平成15年12月9日
31*家持つ人々(短編2)
10年前ってさ、夜中に台場までドライブ行くと寂れてたよなぁ。走り屋がフネカン(船の科学館)でいたちごっこしてた頃ね、夢の島には倉庫しかなくて草っ原に遺体が投棄されたりしてた。それが青海あたりから目茶苦茶な勢いで工事始めて、今じゃ見違えるようになっちゃってビックリよ。久々に行ってみたら、夜中の夢の島に小学生が歩いてんの! 一瞬、ついに僕も見ちゃったのかと思って青ざめたね。あの辺は、間違ってもそんな場所じゃないぜ? 少なくとも、まだ今は。
江東区で、児童の急増に学校が不足する事態…なんだそうだ。一学期の間に、一学年の学級数が倍になる? そりゃあ不自然だよな、本来は町ってのは自然発生的な集合体だったろうに。それが今や、人為的に作られる時代になったって事なのかね。開発業者だとか、不動産屋によって。そういうのって、何だか気持ち悪いけどなあ。
その事でインタビューに答える父兄(当事者)が行政を非難してたの。いわく「家を持とうと思うのは当たり前なんだから、行政の怠慢だ」とかって。ふーん、当たり前なのかねぇ? 確かに都心に出るのも至近だし、埋立地だけに物件も高くはないのだろうけどさ。だけど江東区は、以前にも児童が急増した事があったんだって。それに対応して学校を増やしたものの、すぐに児童数は急減して相次いで廃校にしなきゃならなかったそうだ。そんなの昔っからの納税者にしてみりゃあ、大いなる税金の無駄遣いでしょ。
一時期、欠陥住宅が話題になった(今もかな)。聞くところによるとさ、一昔前は住人が現場に立ち会うもんだったらしいね。毎日顔出して職人に茶菓子ぐらいは振る舞ってさ、何食わぬ振りで手抜かりないかチェック入れてたって。今は地鎮祭とか建前とかって、滅多に見聞きしなくなったもんなあ。
新しい土地に住むとか家を構えるって時には、土地との契約を結ぶ儀式があったんだよね。今は住む事自体には意味がないんだなぁ、そこがどういう土壌や風土なのかも。地盤がゆるかったり水捌けが悪かったりしても、それは単に売り手が悪くて買った方には責任ないってだけの話でね。
ま、これだけ過密だと気にしてられないんだね。そこが地面なら住むしかない、残された自然を開発して悠々自適…ってのに比べりゃあエコロジーなのかな? しかし色んなニュースがあって非難の応酬だよなぁ、己の都合を押し通す為の正義とか権利とか。どこかに悪の元凶がいるような幻想って、ハリウッド的(あるいは時代活劇か)だなって思うんだけど。
そういうのって、な〜んか気持ち悪くない?
平成15年12月9日
江東区で、児童の急増に学校が不足する事態…なんだそうだ。一学期の間に、一学年の学級数が倍になる? そりゃあ不自然だよな、本来は町ってのは自然発生的な集合体だったろうに。それが今や、人為的に作られる時代になったって事なのかね。開発業者だとか、不動産屋によって。そういうのって、何だか気持ち悪いけどなあ。
その事でインタビューに答える父兄(当事者)が行政を非難してたの。いわく「家を持とうと思うのは当たり前なんだから、行政の怠慢だ」とかって。ふーん、当たり前なのかねぇ? 確かに都心に出るのも至近だし、埋立地だけに物件も高くはないのだろうけどさ。だけど江東区は、以前にも児童が急増した事があったんだって。それに対応して学校を増やしたものの、すぐに児童数は急減して相次いで廃校にしなきゃならなかったそうだ。そんなの昔っからの納税者にしてみりゃあ、大いなる税金の無駄遣いでしょ。
一時期、欠陥住宅が話題になった(今もかな)。聞くところによるとさ、一昔前は住人が現場に立ち会うもんだったらしいね。毎日顔出して職人に茶菓子ぐらいは振る舞ってさ、何食わぬ振りで手抜かりないかチェック入れてたって。今は地鎮祭とか建前とかって、滅多に見聞きしなくなったもんなあ。
新しい土地に住むとか家を構えるって時には、土地との契約を結ぶ儀式があったんだよね。今は住む事自体には意味がないんだなぁ、そこがどういう土壌や風土なのかも。地盤がゆるかったり水捌けが悪かったりしても、それは単に売り手が悪くて買った方には責任ないってだけの話でね。
ま、これだけ過密だと気にしてられないんだね。そこが地面なら住むしかない、残された自然を開発して悠々自適…ってのに比べりゃあエコロジーなのかな? しかし色んなニュースがあって非難の応酬だよなぁ、己の都合を押し通す為の正義とか権利とか。どこかに悪の元凶がいるような幻想って、ハリウッド的(あるいは時代活劇か)だなって思うんだけど。
そういうのって、な〜んか気持ち悪くない?
平成15年12月9日