
僕よりギター上手くなっちゃった知人の話、噂では「彼女は毎日最低でも1時間(最高8時間?)はギターに触り続けていた」のだそうだ。僕が気まぐれに弾いたり、弾かなかったりしてた8年間とは大違いだよなあ! そりゃあ上手くなる筈だわ。
一見すると、思いつきや勢いだけで色んな事を実現してるような人なのよ(失礼!)。だけどビジョンを現実化するのが上手な人って、大抵そのように自分を習慣付ける事が出来るんだよね。
ずいぶんと昔になるけど、とある製薬会社の社長さんと接する機会があってね。その人、教育番組の語学テキストで5ヶ国語をマスターしたそうなの。最初は信じなかったのね、だって海外を行き来する多忙なスケジュールで無理に決まってるじゃん! ってさ。
でも、それから色々な人に出会って、段々と分かってきたんだ。例えば、朝起きて顔を洗う…そういう感じで、+αの要素を生活動作の一部に取り込めるかどうか。どんな些細な事柄でも、自分を習慣付けられる人は、何というか(展開が早いんだ)って。
こういう事を考える時、なぜか僕は「石〇純一の呪い」という言葉が頭をよぎるんだよなぁ。あの人は若くてまだ売れなかった頃、食うや食わずの生活なのにヴェルサーチのスーツとか着てたらしいのね。その逸話を(単なる見えっ張り)じゃなくて、僕は(成功するビジョンを体現する事で現実を引き寄せた)というふうに解釈しちゃってるんだなぁ。なんでだろ? ははは。
それってさ、岡〇太郎の「可能性というのはまやかしだ、今ないものは先にもない」という名言(ちょっと違うか)とか、野球選手の〇嶋茂雄が「打席に立つ時、既にホームランを打った気でいた」という伝説(これもちょっと違うか)相通ずる何かがある気もするのよ。
結局は若き石田氏が、ただの無茶で考えなしだったかなんて重要じゃないんだ。僕自身が、その話に何を見てるかだけの事。何を見聞きしても、大事なのは「何が事実か」という判断より「何を発見するか」という個々の問題なのだろうね。
本気で身に付けたいと思えば、僅かな時間でだって集中できるのだろう。確固たるビジョンを疑わなければ、それは叶えられるのだろう。そういう人になろうと、一丁ここらで頑張ってみよう! とは思わないんだけど、いつか僕がそうなるとしたら(結果的にそうなった)ってだけなんじゃないかなあ。
夢中になってたら、何だかいつの間に…という過去形で気が付くような「出来ちゃった人生」というのも悪くない。
ところで岡本氏の話に戻るけど(あの人は終始、趣旨一貫してたんだなぁ)って思うんだ、一つの手法=思想のようなものに貫かれているよね。その継続性、というか統一性。初期の作品から表現が研ぎ澄まされてゆくだけ、というと語弊があるけど全然よそ見したりしてフラついてないもんね。
あの人の目線(ものの見方)は非常にクリアーだったので、言葉も非常にクリアーに語られている。たから却って、彼の目線を受け取る土台を持たない人には曖昧で(言葉の核心が伝わらないだろうな)って思うんだ。
言葉の意味は個人の神話によって色付けされていて、全く違う主観を同じ言葉で伝え合わなければならない困難さと背中合わせだ……という事を、岡本氏からは常に感じる。
平成15年2月29日