中学校の修学旅行は京都・奈良だったんだけど、サボったの。集団行動がイヤで堪らなかったし、それに(大人になればクサるほど行けるさ)と高をくくってたのね。でも未だに奈良は行ってないし、京都は駅前の寺で暇つぶした程度。ま、関心ないし。
そんな訳で、僕の地図では近畿地方っていい加減になってしまってる。神戸の右に大阪、その下に奈良、その右に京都、ってな感じ。もちろんデタラメなのに、どうもイメージで思い込んだのが抜けないんだな。
子供時代に中国地方で数年間を過ごしているので、四国・九州・中国地方の位置関係は割と覚えてるんだ。東北地方も仕事で回ったりしたせいで大丈夫だけど、名古屋と神戸の中間、が空白のフォッサ・マグナ状態。いやはや、お恥ずかしい話。
でも、関西の方って逆に関東・東北の位置関係が分かんない人、多いみたいね。新潟・長野の先は奥の細道状態? 青森だけは本州の先にあるから分かるらしいんだけど、では問題:宮城県と秋田県と岩手県と福島県のうち、海に面してない県は? って言ったら考え込んじゃうんだろうな。
なーんて得意がっている僕も軽井沢の位置が分からないし、横浜と横須賀のどっちが東京湾に近いのか知らなかったりして。
でも旅はイイヨネ!(…と強引に話題を変えてしまう)
僕は旅好き、ってほど旅行はしてないのだけど、何度かの経験で「旅は人だ」と思った。旅先で出会う人との関わりが、案外と深く記憶には残るんだね。良くも悪くも。見知らぬ土地で親切にされる事ほど有り難いことはない。(もっと人には優しく接しよう)と、その度に思う。必ずしも優しさからの親切じゃない場合もあるが、それは置いといて。
特に台湾の田舎では親切すぎて警戒しちゃう位、みんな純朴な人ばかりだったなぁ。彼らにとっての「見知らぬ人への基準値」と同じ尺度で東京の人間を測ったら、どんなに頑張ったって規準以下だよ。町中で偶然、困ってる彼らを見かけたとしても、僕らなりの親切なんて(冷たーい)と感じるのかも…。
特に昨今の御時世じゃあ、うっかり迷子の子供なんて構っちゃいけない感じだし。思いっきり白々しい演技して、周囲に(安全な若者ですヨ)って見せつけないと、誰にも近寄れそうにないもんな。
先日、駅の改札で白い杖を片手に迷い歩いてる人がいたの。しばらく様子を見てたんだけど、やっぱり困ってるし誰も立ち止まらない訳よ。で、思い切って声を掛けてみたんだ。僕は目の不自由な人に接した経験ゼロだから、声の掛け方からして迷っちゃって。
だって自分が何も見えなかったら、急に耳元で男の声がしたらビビるよ。それに、いきなり腕をつかまれたっておっかないし。とりあえず彼に一々尋ねながら、みどりの窓口まで案内する事になった。なにぶん勝手が判らないから、頼りなくて申し訳ない気分。
みどりの窓口まで来たら、自動ドア入ってすぐから順番待ちの長い列…。まさか一緒に並んでたら自分の用事に遅れちまう、仕方ないから彼の手を取って列の向きと窓口の方向を説明して、後は困ったら周りの人に訊いてもらうように言って別れた。
正直な感想を言っちゃうと(あーっ、面白かった!)の一言。ちょっと前のCMで「始めるって、ドキドキ」とかいう宣伝文句があったけど、まさにそんな感じって言ったら失礼かなぁ? でもこんな面白いんだったら、もっとやりたいって思ったよ。新しいことを手探りで、教えながらも教わってる。そういうのって、楽しいじゃん。
全然関係ない事を思い出したんだけど、小学生だった頃の僕は授業中に答えを分かってても手を挙げられなかったんだ。手を挙げるのがカッコ悪いような、場の空気を気にしてたんだね。あれに何か似てる気がしたのよ。声を掛けるのって緊張するけど、でも構わずにやってみたほうが楽しいのかも。
出会い系? ってのがあるみたいね。よく知らないけど、誰だって出会いたいんじゃないかな。ふと目が会って笑顔を交わしたり、隣り合って話をしたり。旅先で出来る事が、毎日の中で当たり前だったら素敵だよなぁ。
平成15年7月19日