カンクンに着いて、空港のイミグレを通過する。ハバナ空港とは、微妙な気候の差を感じる。そして何より、メキシコ到着初日に一人で通った順路をトニーに付いて歩く、この奇妙な感じ。見覚えある光景が既視感に思えてくる。つまり、僕がカンクンで過ごしていた筈の時間が白昼夢だったような…。
構内に漂うコーヒーのいい匂い、あちこちで「カンクン・ティップス」という(観光お役立ちガイド・マップ)を配布しているキャンギャルも、賑わう免税店もハバナとは大違いだった。
出口にはエドベンが待っていてくれて、初日の時と同じようにニコニコしながら僕の肩をバシバシ叩いてくる。実際は彼のほうが年下なのに、まるで弟扱いだ。彼を見上げる僕も、なんだか頼りになる兄貴を見ている気がしてしまう。
「エドベン、リコンファームありがとうね」
うっかりして、エドベンの大好きなラム酒を買い損ねてた! 彼に限らず、この町の若者はテキーラよりもラム酒が好きらしい。そんなところにも、どことなく〈アンチ北部メキシコ〉的なマヤ人の気概を見てしまう。
面倒を押し付けてしまったのに、土産のひとつもないなんて。僕らが飛行機に乗り遅れたせいで1日遅れになったのにも関わらず、彼は仕事を抜けて僕らを家まで送り届けてくれた。おかげで空港からセントロ[中心街]までのタクシー代が浮いた…っていうか本当に弟分で情けない!
灼け付くような日差しと、アスファルトの照り返しが懐かしい。ハバナは台風の影響で曇りがちだったけど、カンクンは相変わらず雲一つない澄み切った青空だ。
緑の中の一本道から、右手に海のきらめきが乱反射を見せ始めた。そして道路に沿ってアパートが建ち並び、セントロ手前のガス・ステーションで左に折れて市街地へと回り込んでゆく。分離帯の巨木が作る木もれ陽を浴びながら、静かな街並みを駆け抜ける。あっという間にメルカドのピンク色した建物群が現れ、住宅街の細く湾曲した道の先にカーサ・ブランカ[白い家]が見えてきた。
空港からノン・ストップで走り抜いたゴルフ君はエライ、エンジンを止めると息を切らしてキンキン鳴いている。いつの日か、組み上がった勇姿を見たいものだ。
家にいたママとパティに、先ずは「ただいまー」とあいさつ。
ママは事情を知っていたのか(心配してたよ〜)という顔を見せてくれた。その残り分の(心配かけやがって〜)は、トニーに向けた小言に変わる。いつも悪者にされてしまう彼には同情するけれど、今回の一件に関しては当然のお叱りではなかろうか。
とにかく荷物を部屋に置き、トニーと早速セントロの「バーガー・キング」に直行。例によって効き過ぎている冷房で、久々に鳥肌が立った。
懐かしの「バーガー・キング」に入るなり、熱い湯舟に浸かったような溜め息声が出てしまう。瞬時に体温を調節する反動なのか、どうしても黙っていられないのだ。でもキューバでは多分、一度も発していない。
僕は不意に、日本にいる時から身近にあふれていた〈アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ〉に初めて接するような戸惑いを覚えた。この店の何もかもが、なぜか新鮮に感じられて仕方がない。強烈な冷房にも、けばけばしいディスプレイにも、チャカチャカと耳障りなBGMにも違和感だけが先に立つのだ。
キューバに行った時も状況の急激な変化に馴染めなかったけど、こうして戻ってみると当たり前な日常の些事が不自然になっている。ハバナで過ごした3泊旅行が、ここカンクンでの3週間に匹敵すると思えてしまう位に。それが地獄だったのか天国だったのか、こうして思い返すと(極彩色の玉手箱を引っ繰り返した感じ)としか言いようがないけれども。
ジャンク・フード独特の匂いに食欲を刺激され、とにかく何も考えずにかぶりつく。当然ながら、コーラと山盛りのハラペーニョ付き。そうそう、ずっとこういうのが食べたかったんだ。これこそハバナで常に恋い焦がれ続けていた味!
このリアル・ハンバーガーの食べ慣れた味と共に、よく知っている〈自分の属する世界〉が戻ってきた。食べ物の記憶につられて、色々な違和感が氷解してゆくのが分かる。改めて思い出すと、ハバナでのまともな食事といえば「名もないレストラン」での夕食だけだ。それ以外は、ジャンクと呼ぶにもお粗末な代物ばかりで。
しかし、自分は本当にハンバーガーを食べているのだろうか? 僕は今、ハンバーガーという記号に埋め込まれた〈アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ〉の感触を充たしているだけじゃないのか?
キューバで僕が飢えていたのは、こういった手軽な[リッチ&ゴージャスな記号]を取り込めない状況の辛さだったのかも。たかが大量生産のジャンク・フードで[リッチ&ゴージャス]でもないだろうけど、ハバナ空港での(得体の知れないハンバーガー)は示唆的だったなと思う。
一切の飾りを削ぎ落とした、ただのツナ・マフィン。あれは本当の意味で美味しかった、しっかり味わって食べた唯一の(リアル・ジャンク・フード)だった。しかしあの時、最初に僕は(がっかり)したのだ。あの落胆は何故だったのか…?
そうだ、僕は(本物のハンバーガー)なんて味を知らない。
2006年12月12日
メキシコ旅情【帰郷編・2 さようなら】
満腹になるまでハンバーガーを食べて、僕らは至極御満悦で帰宅した。といっても、キューバ旅行中は昼抜きに近い食生活だったので、大して食べなくても腹一杯になってしまった。
そうだ、この数日間は1日1度の間食といった程度で済ませていたんじゃないか。何とまぁ、えらい極貧旅行をしたものだ。その割にはタクシーに乗ってばかりいて、おかしいよなぁ。
部屋に帰って荷物をバラし、水シャワーを浴びて寝る。トニーは昼寝なんぞしないで飛び回っていたのだろうけれど、僕は眠らずにはいられなかった。目が覚めると日が暮れてしまっていて、最後の使い捨てカメラの現像出しに行きそびれた。ハバナで撮り終えた分で、今日中に仕上げて皆に見せたかったが仕方ない。
階下に降りると、ちょうど夕飯の時間だった。どうしても(これが最後の夕食なのだ)という実感が湧いてこない、いつもと変わらないエドベン家の夜。食事の後、僕はなんとなく思い立ってギターを手に取った。ソファーの上に投げ出されたままのギターを調律していると、自然とそこにいた皆の視線が僕に集まってくる。
ママ、パティ、ディエゴ、そしてトニー。
「ええと、今までの感謝の気持ちで1曲うたいます」
トニーが、僕の言葉を訳してくれる。
「これは日本の唄で、僕のアミーゴが作った曲です。タイトルは『さようなら』と言います」
TVが消され、静まり返った空気がぎこちない。何だか、急に緊張してきた。思いつきは良かったが、暗譜してもいないのに歌詞もコードも持ってなかったのだ。
「あ、あのー、あんまり覚えていないので間違えると思うけど…」
まるで世紀の一瞬を見守るような注目に、僕は誰に言い訳しているのか(しどろもどろ)になる。
「…んで『さようなら』というのは、日本語でアディオスの意味です」
血が上った頭を深呼吸で静めながら、僕は出だしのコードを手早く繰り返して確認する。後へは引けない。思わず真顔になって、一瞬、目を閉じた。
最後のリフレインの後、弦を押さえていた指を離す。沈黙の中に、長い余韻が響いていた。
(すべてが夢のようだ)と思う。
唄もギターも突っ掛かったが最後、頭の中まっしろになって間違いまくってしまった。それでもずっと(歌詞と和音を並べていく作業に忙殺される僕)とは別な(もう一人の僕)がいて、そちらは記憶の中に淡く浮かんでは消える場面を漂っていた。ここの空気と共にあった幾つもの光景が、寝覚めの色彩を散りばめた薄絹みたいに揺れる…そんな不思議な気持ち良さの中、遠くで自分の口づさむメロディが響いている感じだった。
目を開けると、涙ぐんでいるママの顔があった。言葉も通じない見知らぬ男を、我が子のように何くれとなく世話を焼いてくれたママ。僕も目頭が熱くなり、彼女の姿が涙にぼやけた。もっと練習するとか、きちんと考えてくるんだったな。こんなに失敗だらけじゃあ、この唄を作った友人にも申し訳ない気持ちになってしまう。
まさかメキシコで弾き語りするなんてなー、思いつきにしては上出来な別れの挨拶だった…そう言い聞かせて自分をなぐさめる。みんなの暖かい拍手に迎えられ、ともかく気持ちは伝わった事を感じて嬉しくなった。思わずウルウルしてしまった自分が照れ臭く、でも僕は心を込めて言う。
「ムーチャス・グラシアス!」
その夜も、いつもと同じくビアネイ&グラシエラの部屋を訪ねた。
トニーと2人でハバナの土産話を開陳し、大いに盛り上がる。ビアネイにイダルミの話をしながら、あのカメラを現像に出していればと残念に思う。ダンス・ホールの話になり、トニーの買ったカセットテープがラジカセから流れ出した。
ハバナの独特な空気がよみがえり、楽しかった事ばかり心に浮かんでくる。嫌な思い出も今となれば笑い話、ハプニングの連続に振り回されてた自分が狂言回しのようで可笑しくなった。
こうしていると改めて、この部屋での時間がいかに特別なものだったかと気付く。まるで学生時代に仲間同士お喋りして、男も女も関係なく夜更かしする胸踊るような感じ。冷えたコーラと、ハーシーズのクッキー・ミント・チョコ。「ホエール」という洗礼名…。
しかし適当に切り上げないと明朝は8時起きだ、寝坊する訳にはいかない。当たり前に繰り返した(毎晩の恒例行事)は、いつも通りにお開きになろうとしていた。想いを巡らせると無性に名残惜しく、いつまでも立ち去り難くなる。
帰る間際に、グラシエラからプレゼントをもらった。「CANCUN」の白文字がプリントされた使い捨てライターと、ソンブレロの形をした素焼きに派手な彩色が施されている素朴な灰皿。タバコを吸わない人から喫煙グッズを贈られるのは、何だか変な気分だ。彼女に悪気がないのは分かっているけど、まるで(私は大嫌いだけど、気にしないでバンバン吸ってよ)と言われているような気がして困る。
「この灰皿、君が作ったの?」
そう尋ねると、グラシエラはニッと笑った。いつの間に作ったのだろう? 裏返すと「グラシエラより」と書いてあり、その下の「コン・カリーニョ」とあったが、意味は敢えて訊かなかった。彼女とは友人なのだ。
トニーの部屋に戻り、僕は簡易ベッドを拡げて横になった。ハンモックは邪魔にならないように、片付けたままになっている。最後にもう一度あれに揺られて眠りたいとも思ったけど、明朝にバタバタする手間は増やしたくない。
「どうもありがとう、トニー。色々と迷惑を掛けたね」
青ざめた光の差す室内に、僕の声が他人事のように響いた。
「こちらこそ、いなくなると寂しくなるよ」
トニーがいなければ、僕の旅そのものが有り得なかったのだ。なのに僕は、ずっと彼に尻拭いを押し付けていた気がする。感謝と、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「トニー、おやすみ」
「おやすみ、モト」
そうだ、この数日間は1日1度の間食といった程度で済ませていたんじゃないか。何とまぁ、えらい極貧旅行をしたものだ。その割にはタクシーに乗ってばかりいて、おかしいよなぁ。
部屋に帰って荷物をバラし、水シャワーを浴びて寝る。トニーは昼寝なんぞしないで飛び回っていたのだろうけれど、僕は眠らずにはいられなかった。目が覚めると日が暮れてしまっていて、最後の使い捨てカメラの現像出しに行きそびれた。ハバナで撮り終えた分で、今日中に仕上げて皆に見せたかったが仕方ない。
階下に降りると、ちょうど夕飯の時間だった。どうしても(これが最後の夕食なのだ)という実感が湧いてこない、いつもと変わらないエドベン家の夜。食事の後、僕はなんとなく思い立ってギターを手に取った。ソファーの上に投げ出されたままのギターを調律していると、自然とそこにいた皆の視線が僕に集まってくる。
ママ、パティ、ディエゴ、そしてトニー。
「ええと、今までの感謝の気持ちで1曲うたいます」
トニーが、僕の言葉を訳してくれる。
「これは日本の唄で、僕のアミーゴが作った曲です。タイトルは『さようなら』と言います」
TVが消され、静まり返った空気がぎこちない。何だか、急に緊張してきた。思いつきは良かったが、暗譜してもいないのに歌詞もコードも持ってなかったのだ。
「あ、あのー、あんまり覚えていないので間違えると思うけど…」
まるで世紀の一瞬を見守るような注目に、僕は誰に言い訳しているのか(しどろもどろ)になる。
「…んで『さようなら』というのは、日本語でアディオスの意味です」
血が上った頭を深呼吸で静めながら、僕は出だしのコードを手早く繰り返して確認する。後へは引けない。思わず真顔になって、一瞬、目を閉じた。
最後のリフレインの後、弦を押さえていた指を離す。沈黙の中に、長い余韻が響いていた。
(すべてが夢のようだ)と思う。
唄もギターも突っ掛かったが最後、頭の中まっしろになって間違いまくってしまった。それでもずっと(歌詞と和音を並べていく作業に忙殺される僕)とは別な(もう一人の僕)がいて、そちらは記憶の中に淡く浮かんでは消える場面を漂っていた。ここの空気と共にあった幾つもの光景が、寝覚めの色彩を散りばめた薄絹みたいに揺れる…そんな不思議な気持ち良さの中、遠くで自分の口づさむメロディが響いている感じだった。
目を開けると、涙ぐんでいるママの顔があった。言葉も通じない見知らぬ男を、我が子のように何くれとなく世話を焼いてくれたママ。僕も目頭が熱くなり、彼女の姿が涙にぼやけた。もっと練習するとか、きちんと考えてくるんだったな。こんなに失敗だらけじゃあ、この唄を作った友人にも申し訳ない気持ちになってしまう。
まさかメキシコで弾き語りするなんてなー、思いつきにしては上出来な別れの挨拶だった…そう言い聞かせて自分をなぐさめる。みんなの暖かい拍手に迎えられ、ともかく気持ちは伝わった事を感じて嬉しくなった。思わずウルウルしてしまった自分が照れ臭く、でも僕は心を込めて言う。
「ムーチャス・グラシアス!」
その夜も、いつもと同じくビアネイ&グラシエラの部屋を訪ねた。
トニーと2人でハバナの土産話を開陳し、大いに盛り上がる。ビアネイにイダルミの話をしながら、あのカメラを現像に出していればと残念に思う。ダンス・ホールの話になり、トニーの買ったカセットテープがラジカセから流れ出した。
ハバナの独特な空気がよみがえり、楽しかった事ばかり心に浮かんでくる。嫌な思い出も今となれば笑い話、ハプニングの連続に振り回されてた自分が狂言回しのようで可笑しくなった。
こうしていると改めて、この部屋での時間がいかに特別なものだったかと気付く。まるで学生時代に仲間同士お喋りして、男も女も関係なく夜更かしする胸踊るような感じ。冷えたコーラと、ハーシーズのクッキー・ミント・チョコ。「ホエール」という洗礼名…。
しかし適当に切り上げないと明朝は8時起きだ、寝坊する訳にはいかない。当たり前に繰り返した(毎晩の恒例行事)は、いつも通りにお開きになろうとしていた。想いを巡らせると無性に名残惜しく、いつまでも立ち去り難くなる。
帰る間際に、グラシエラからプレゼントをもらった。「CANCUN」の白文字がプリントされた使い捨てライターと、ソンブレロの形をした素焼きに派手な彩色が施されている素朴な灰皿。タバコを吸わない人から喫煙グッズを贈られるのは、何だか変な気分だ。彼女に悪気がないのは分かっているけど、まるで(私は大嫌いだけど、気にしないでバンバン吸ってよ)と言われているような気がして困る。
「この灰皿、君が作ったの?」
そう尋ねると、グラシエラはニッと笑った。いつの間に作ったのだろう? 裏返すと「グラシエラより」と書いてあり、その下の「コン・カリーニョ」とあったが、意味は敢えて訊かなかった。彼女とは友人なのだ。
トニーの部屋に戻り、僕は簡易ベッドを拡げて横になった。ハンモックは邪魔にならないように、片付けたままになっている。最後にもう一度あれに揺られて眠りたいとも思ったけど、明朝にバタバタする手間は増やしたくない。
「どうもありがとう、トニー。色々と迷惑を掛けたね」
青ざめた光の差す室内に、僕の声が他人事のように響いた。
「こちらこそ、いなくなると寂しくなるよ」
トニーがいなければ、僕の旅そのものが有り得なかったのだ。なのに僕は、ずっと彼に尻拭いを押し付けていた気がする。感謝と、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「トニー、おやすみ」
「おやすみ、モト」
メキシコ旅情【帰郷編・3 帰国の朝】
帰国の朝だ。キューバでの疲れが後を引いたのか、起きるのが辛い。
だけどエドベンの出勤ついでに便乗させてもらうのだ、彼が空港に勤務していてくれていて助かった。でなければ自腹でタクシーを呼ぶしかなかったからな。
荷物は昨日の内にまとめてあったので、出発予定の9時半に余裕で間に合いそうだ。寝ているトニーを起こさないように、僕はゆっくりと身支度を整え始めた。
「…ん〜っ、行くのか?」
ベッドから、モソモソとうごめいて声がする。
「それじゃ、気を付けて」
トニーは、夢の中からのお見送りだった。昨日の夜、確かに「悪いけど、見送りには行けないから」とは言っていたけど…ちょいと冷たいんじゃない?
だけど逆に、この程度のシンプルさのほうが却って自然に思えてきた。一生の別れでもあるまいし、また逢えるのだから。次はどこだろう、東京かな。それともキューバ?
「トニーの厚意には感謝してる。じゃあ、夢の続きを楽しんでね」
ステンド・グラスみたいに、色ガラスが黒塗りの鉄格子にはまったドアを閉める。そっと閉めたのに、でもやっぱり大きな音を立てた。薄暗さに慣れた目に、外の光が洪水のように飛び込んできて目を細める。踏み出す前に足元を確かめると、今朝はまだ(レガロ前)でウンを付けずに済んだ。
冷房の効いた部屋から出ると、一気に血が沸騰する気分だ。いつもの雲一つない青空、朝の気持ち良い風が陽射しの強さを和らげてくれる。階下に降りると、エドベンがパパの白ワーゲンをガレージから出していた。彼の青ゴルフは外に停まっている。
出勤姿のエドベンは、ストライプのシャツにネクタイを締めて(爽やかな好青年)そのものだ。いたずらを思いついた子供のような笑みが、相変わらず口元に浮かんでいる。
「待ってるから、ママにあいさつしといで!」
そう言われて家の中をのぞくと、戸口の近くにママとパティが立っていた。すぐ後ろに、パパの姿も見える。何も言わず、僕は目の前にいるママを抱き締めた。
「ムーチャス・グラシアス、ママ…」
感極まったように、彼女は涙でほおを濡らす。僕は暖かい気持ちで見つめ返した。何も与える事は出来なかった僕を、ママは見返りを求めない広い心で受け入れてくれた。本当の家族と同じように…。
僕は他の2人とも同じように、ハグを交わす。パパと顔を合わせる機会は2,3回程度しかなかったのに、それでも彼は僕を力強く抱きしめてくれた。それだけで充分に、お互いの心が伝わりあった感じがする。
パティはあまり感情を表に出さないタイプだから、彼女がプレゼントをくれたのは嬉しかった。黙って、部屋から持って来た油絵を僕に寄越したのだ。ママもちょっと驚いた様子で、それはパティ自身が描いたのだと教えてくれた。小さなキャンバスに描かれた、みずみずしい入り江の夜明け…。
それは予言者のタロットみたく、何かを象徴しているような神秘性があった。水辺を照らす黄金色の太陽は、今日という日そのものかもしれない。そのようにして、プライベートな神話は生まれ続けてゆくのだろう。陽はまた昇るように、旅の終わりが新たな始まりに続いてゆくように…。良い流れだ、と思う。
僕は最後にもう一度、心からの感謝を告げると振り向かずに車へ乗り込んだ。運転席でエンジンを掛けて待っていたエドベンにキャンバスを見せ、それをカバンにしまって後部座席に座る。そしてパパが助手席に腰を落ち着けた。一路、空港へと出発する。
朝の通勤ラッシュは、僕が目覚めて町なかへ出る時間には見られない光景だった。いつもは住民の気配すら感じられない通りが、まるで荒れ狂う急流のようになっている。びっしりと混み合う車の群れが、猛スピードで飛ばしているのだ。活気があるというか、威勢が良いというか…。
途中、エドベンは車を路肩に寄せて停まった。そこは三角州みたいな空き地で、新聞売りの掘っ建て小屋の周囲に背広姿の男達がいる。パパはそこで車を降りて、会社の同僚の車に相乗りして行くらしい。すでに顔見知りなのか、エドベンも何人かにあいさつしている。他の人々も、車で通りかかる同僚を待っているのだ。忙しい朝にあって、陽のあたる芝生の孤島は不思議な趣があった。そこはまるで、走り回る車の海流に浮かんだ「ビジネスマンの楽園」みたいだった。紙コップの熱いコーヒーと新聞を手にした男達が、走りだした車から見えなくなってゆく。
しばらくすると、大学の前を通りがかった。ヘセラたちが通っているのだという。彼女はどうしているだろう? 土曜の夜、もしもキューバに行かなければ…どこかのディスコで、僕らはどうにかなっていたのかな。
(ヘセラ!)
彼女の、か細い腕を想い出して急に胸が苦しくなってきた。小麦色の、滑らかな素肌。そして黒い瞳の奥にある、あの謎めいた微笑を。僕はまだ、旅を終えられない…このままでは心を残してしまう。もはや景色など上の空で、僕は真剣に思いを巡らせていた。しかし今となっては、もうどうする事も出来ないのだ。いくら知恵を絞ってみても、何かを変える時間などなかった。
現実を受け容れようと思えば思うほど、彼女のことばかり想い浮かんでしまう。仮にヘセラと再び逢ったところで、踏ん切りが着けられる訳でもない。ますます別れ難くなると分かり切っていても、行き場のない気持ちに押し潰されそうだった。
空港が見えてきて、奮ぶった感情がようやく落ち着いてきた。何もかもが思い通りにいかなくても、それはそれでOKなんだと思う。僕は(マクトゥーブ)と胸の中でつぶやいた、すべてはなるべくしてなってゆくのだ。
車を降りてエドベンに別れを告げると、彼は「また後でね。様子を見に行くから」と窓越しに手を振ってクルー専用の駐車場へと走り去って行った。
今回は何事もなく、搭乗手続きを終えることが出来た。なぜかドラッグ・ポリスは一人も見かけない、まぁ拍子抜けしたけど遭いたくもない連中だからな。気のせいか若い日本人旅行者が多かったが、帰りの道中まで彼らと一緒になったりはしないだろう。
僕が乗るのは、午後1時33分発のアメリカン航空355便だ…まだ3時間はある。
だけどエドベンの出勤ついでに便乗させてもらうのだ、彼が空港に勤務していてくれていて助かった。でなければ自腹でタクシーを呼ぶしかなかったからな。
荷物は昨日の内にまとめてあったので、出発予定の9時半に余裕で間に合いそうだ。寝ているトニーを起こさないように、僕はゆっくりと身支度を整え始めた。
「…ん〜っ、行くのか?」
ベッドから、モソモソとうごめいて声がする。
「それじゃ、気を付けて」
トニーは、夢の中からのお見送りだった。昨日の夜、確かに「悪いけど、見送りには行けないから」とは言っていたけど…ちょいと冷たいんじゃない?
だけど逆に、この程度のシンプルさのほうが却って自然に思えてきた。一生の別れでもあるまいし、また逢えるのだから。次はどこだろう、東京かな。それともキューバ?
「トニーの厚意には感謝してる。じゃあ、夢の続きを楽しんでね」
ステンド・グラスみたいに、色ガラスが黒塗りの鉄格子にはまったドアを閉める。そっと閉めたのに、でもやっぱり大きな音を立てた。薄暗さに慣れた目に、外の光が洪水のように飛び込んできて目を細める。踏み出す前に足元を確かめると、今朝はまだ(レガロ前)でウンを付けずに済んだ。
冷房の効いた部屋から出ると、一気に血が沸騰する気分だ。いつもの雲一つない青空、朝の気持ち良い風が陽射しの強さを和らげてくれる。階下に降りると、エドベンがパパの白ワーゲンをガレージから出していた。彼の青ゴルフは外に停まっている。
出勤姿のエドベンは、ストライプのシャツにネクタイを締めて(爽やかな好青年)そのものだ。いたずらを思いついた子供のような笑みが、相変わらず口元に浮かんでいる。
「待ってるから、ママにあいさつしといで!」
そう言われて家の中をのぞくと、戸口の近くにママとパティが立っていた。すぐ後ろに、パパの姿も見える。何も言わず、僕は目の前にいるママを抱き締めた。
「ムーチャス・グラシアス、ママ…」
感極まったように、彼女は涙でほおを濡らす。僕は暖かい気持ちで見つめ返した。何も与える事は出来なかった僕を、ママは見返りを求めない広い心で受け入れてくれた。本当の家族と同じように…。
僕は他の2人とも同じように、ハグを交わす。パパと顔を合わせる機会は2,3回程度しかなかったのに、それでも彼は僕を力強く抱きしめてくれた。それだけで充分に、お互いの心が伝わりあった感じがする。
パティはあまり感情を表に出さないタイプだから、彼女がプレゼントをくれたのは嬉しかった。黙って、部屋から持って来た油絵を僕に寄越したのだ。ママもちょっと驚いた様子で、それはパティ自身が描いたのだと教えてくれた。小さなキャンバスに描かれた、みずみずしい入り江の夜明け…。
それは予言者のタロットみたく、何かを象徴しているような神秘性があった。水辺を照らす黄金色の太陽は、今日という日そのものかもしれない。そのようにして、プライベートな神話は生まれ続けてゆくのだろう。陽はまた昇るように、旅の終わりが新たな始まりに続いてゆくように…。良い流れだ、と思う。
僕は最後にもう一度、心からの感謝を告げると振り向かずに車へ乗り込んだ。運転席でエンジンを掛けて待っていたエドベンにキャンバスを見せ、それをカバンにしまって後部座席に座る。そしてパパが助手席に腰を落ち着けた。一路、空港へと出発する。
朝の通勤ラッシュは、僕が目覚めて町なかへ出る時間には見られない光景だった。いつもは住民の気配すら感じられない通りが、まるで荒れ狂う急流のようになっている。びっしりと混み合う車の群れが、猛スピードで飛ばしているのだ。活気があるというか、威勢が良いというか…。
途中、エドベンは車を路肩に寄せて停まった。そこは三角州みたいな空き地で、新聞売りの掘っ建て小屋の周囲に背広姿の男達がいる。パパはそこで車を降りて、会社の同僚の車に相乗りして行くらしい。すでに顔見知りなのか、エドベンも何人かにあいさつしている。他の人々も、車で通りかかる同僚を待っているのだ。忙しい朝にあって、陽のあたる芝生の孤島は不思議な趣があった。そこはまるで、走り回る車の海流に浮かんだ「ビジネスマンの楽園」みたいだった。紙コップの熱いコーヒーと新聞を手にした男達が、走りだした車から見えなくなってゆく。
しばらくすると、大学の前を通りがかった。ヘセラたちが通っているのだという。彼女はどうしているだろう? 土曜の夜、もしもキューバに行かなければ…どこかのディスコで、僕らはどうにかなっていたのかな。
(ヘセラ!)
彼女の、か細い腕を想い出して急に胸が苦しくなってきた。小麦色の、滑らかな素肌。そして黒い瞳の奥にある、あの謎めいた微笑を。僕はまだ、旅を終えられない…このままでは心を残してしまう。もはや景色など上の空で、僕は真剣に思いを巡らせていた。しかし今となっては、もうどうする事も出来ないのだ。いくら知恵を絞ってみても、何かを変える時間などなかった。
現実を受け容れようと思えば思うほど、彼女のことばかり想い浮かんでしまう。仮にヘセラと再び逢ったところで、踏ん切りが着けられる訳でもない。ますます別れ難くなると分かり切っていても、行き場のない気持ちに押し潰されそうだった。
空港が見えてきて、奮ぶった感情がようやく落ち着いてきた。何もかもが思い通りにいかなくても、それはそれでOKなんだと思う。僕は(マクトゥーブ)と胸の中でつぶやいた、すべてはなるべくしてなってゆくのだ。
車を降りてエドベンに別れを告げると、彼は「また後でね。様子を見に行くから」と窓越しに手を振ってクルー専用の駐車場へと走り去って行った。
今回は何事もなく、搭乗手続きを終えることが出来た。なぜかドラッグ・ポリスは一人も見かけない、まぁ拍子抜けしたけど遭いたくもない連中だからな。気のせいか若い日本人旅行者が多かったが、帰りの道中まで彼らと一緒になったりはしないだろう。
僕が乗るのは、午後1時33分発のアメリカン航空355便だ…まだ3時間はある。
メキシコ旅情【帰郷編・4 アディオス・アミーゴス】
搭乗時刻になるまでは、メキシコ国内に留まっていたい気分だった。ドラッグ・ポリスもいないし、急いでイミグレーションに行く必要もない。構内のコーヒー・ショップに入ったが、そこは長居するには向いていない店だった。慌ただしくて空虚な雰囲気、まるで八重洲の地下街だ。
早くも売り切れてしまったのか、パン類の棚は空っぽだ。チェッ、朝食まだ食べてないのに…キューバ以来、どうも僕は食べ物とは縁遠いな。
日本の立ち飲み店と変わらない、粉っぽい味のコーヒー。ママの作るインスタント・コーヒーは、どうしてあんなに美味しかったのだろう…? あれは決して(家庭の味)なんていう錯覚じゃなくて、本気で日本に持ち帰りたかった。あれこそ単なる粉コーヒーだったけど、こんなドリップ・コーヒーが詐欺みたく思えてくる美味さだった。
ふいに懐かしさが込み上げてきて、ちょっと切なくなる。まだ僕はメキシコにいるのに、もう思い出の場所に変わりつつあるのか。
店の前をエドベンが通りかかって、すぐに僕を見つけた。どうしてなのか不思議な事に、彼は僕に向かって一直線に歩いて来た。やはり日本人って目に付くのかなぁ? 彼は空港職員の制服を着ていたが、当たり前のようにコーヒーを注文して座った。
「おい、仕事中に大丈夫なのか?」
「…そうだな、ここじゃ丸見えだ」
彼の呑気な答えにも驚いたが、そんなメキシコらしさが嬉しく感じられる。さすがに通路から目立たない席を探したものの、あいにく混んでいたので隅のテーブルに移動した。彼は同僚の目を避ける必要があるし、考えてみれば僕もドラッグ・ポリスへの勢力圏内にいるのだった。
しかしエドベンは同僚に見つかってしまい、彼に僕を紹介して3人一緒に店を出た。職員詰め所の前で2人が立ち話をするのに付き合って、僕は灰皿の脇で一服する。僕の吸っていたタバコに同僚が目を留めたので、そのハバナ製のパッケージを見せて勧めた。
葉巻には高くて手が出なかったけど、タバコであってもハバナ製は実に旨い。彼があまりにも満足げに煙を吐き出すので、僕はパッケージごと残りを全部あげた。どうせ、そこには数える程しか残ってなかったのだ。すると思いがけず非常に感謝されたので、エドベンの評判が少し上がったかもしれない。
再びエドベンと通路を歩きだし、その突き当たりが実質上のメキシコ国境だった。その税関の先は、この土地とは何のつながりもない空間…そういった漠然とした物思いに囚われていて、走り寄って来る人影に気付くのが遅れた。
ヘセラ!?
一瞬、訳が判らなかった。なぜか、僕の目の前に彼女がいた。ヘセラもまた、嬉しそうな笑顔の中に驚きの表情を見せている。空港の制服に身を包んだ姿を見て、彼女が空港でバイトしている事を思い出した。そういえばそうだったな、すっかり忘れていた。
彼女は、背後のベルト・コンベアでスーツ・ケースの積み込みを手伝っていたのだろう。仕事中に持ち場を離れて良いのか気掛かりだけど、今はそんな心配どころじゃなかった。とにかく、幸せなる偶然に感謝するだけだ。
「こんな所で、一体どうしたの?」
「あぁ、日本に帰らなきゃならない。こっちこそ、ここで君に逢えるなんて考えもしなかったよ」
ヘセラは僕の言葉を冗談だと思ったのか、あいまいな微笑を返してきた。でなければ、すぐに僕がカンクンに戻って来るものと思い込んでいるのだろう。彼女と、2人きりで話がしたかった。
あの日、もしもキューバ行きがなければ…。こうしてヘセラと見つめ合っていると、今さらの思いに胸が苦しくなってくる。抱擁を交わすと、彼女のサラリとした肌に僕の顔が触れた。
きっと何もかも、これで良かったんだよな。ブラジル式に、僕はヘセラの両方のほっぺに(チュッ)として別れる。
「じゃあね。一緒にディスコに行けなくて残念だった」
そう言って、僕は再び日本へと歩き出した。
いつかは忘れるさ。
税関の手前でエドベンとも別れ、手荷物の検査を済ませるとエレベーターを上がった。そこは明るく広々とした待合所で、メキシコを思い出させる要素は何一つなかった。数日前のキューバ行きで、トニーと通過したばかりだった。あの時は、この待合所のトイレで不精ヒゲを剃ったっけなぁー。そう思うと、まだ彼と一緒に旅行している途中のような気がする。でも、もう誰もいない。
長い道中ずっと独りだと考えると、心に穴が空いたような落ち着かなさに襲われた。しかも今夜はシアトルで一泊だ、遠いよなぁ〜。
滅入る気分を変えようと、ふっかりとした椅子に座って本を取り出した。読み始めてみたものの、いつ搭乗開始になるのかと思うと集中できない。そこに制服の職員が近寄って来た。ドラッグ・ポリス絡みか…!?
「モート〜!」
エドベンだった。ホッとするやら嬉しいやら、だ。だけどさっきから仕事もしないで僕にかまってばかりで、そんな調子で平気なのかね。
「気にするなよ、今日はボスが遅いから」
そういう問題じゃないと思うが、彼の心遣いは沁みた。エドベンは僕の横に腰を下ろし、出発前の不安定な感情を共に分かち合ってくれた。ほとんど会話らしい言葉は交わさなかったが、友人がそばにいてくれる心強さを痛感する。僕はエドベンやトニー達に、このような思いやりを示せただろうか?…そう思うと(僕は良い友人ではないな)という気がしてくる。
彼が、無意識というよりは心得た上で(ただここにいてくれる)のが感じられた。
早くも売り切れてしまったのか、パン類の棚は空っぽだ。チェッ、朝食まだ食べてないのに…キューバ以来、どうも僕は食べ物とは縁遠いな。
日本の立ち飲み店と変わらない、粉っぽい味のコーヒー。ママの作るインスタント・コーヒーは、どうしてあんなに美味しかったのだろう…? あれは決して(家庭の味)なんていう錯覚じゃなくて、本気で日本に持ち帰りたかった。あれこそ単なる粉コーヒーだったけど、こんなドリップ・コーヒーが詐欺みたく思えてくる美味さだった。
ふいに懐かしさが込み上げてきて、ちょっと切なくなる。まだ僕はメキシコにいるのに、もう思い出の場所に変わりつつあるのか。
店の前をエドベンが通りかかって、すぐに僕を見つけた。どうしてなのか不思議な事に、彼は僕に向かって一直線に歩いて来た。やはり日本人って目に付くのかなぁ? 彼は空港職員の制服を着ていたが、当たり前のようにコーヒーを注文して座った。
「おい、仕事中に大丈夫なのか?」
「…そうだな、ここじゃ丸見えだ」
彼の呑気な答えにも驚いたが、そんなメキシコらしさが嬉しく感じられる。さすがに通路から目立たない席を探したものの、あいにく混んでいたので隅のテーブルに移動した。彼は同僚の目を避ける必要があるし、考えてみれば僕もドラッグ・ポリスへの勢力圏内にいるのだった。
しかしエドベンは同僚に見つかってしまい、彼に僕を紹介して3人一緒に店を出た。職員詰め所の前で2人が立ち話をするのに付き合って、僕は灰皿の脇で一服する。僕の吸っていたタバコに同僚が目を留めたので、そのハバナ製のパッケージを見せて勧めた。
葉巻には高くて手が出なかったけど、タバコであってもハバナ製は実に旨い。彼があまりにも満足げに煙を吐き出すので、僕はパッケージごと残りを全部あげた。どうせ、そこには数える程しか残ってなかったのだ。すると思いがけず非常に感謝されたので、エドベンの評判が少し上がったかもしれない。
再びエドベンと通路を歩きだし、その突き当たりが実質上のメキシコ国境だった。その税関の先は、この土地とは何のつながりもない空間…そういった漠然とした物思いに囚われていて、走り寄って来る人影に気付くのが遅れた。
ヘセラ!?
一瞬、訳が判らなかった。なぜか、僕の目の前に彼女がいた。ヘセラもまた、嬉しそうな笑顔の中に驚きの表情を見せている。空港の制服に身を包んだ姿を見て、彼女が空港でバイトしている事を思い出した。そういえばそうだったな、すっかり忘れていた。
彼女は、背後のベルト・コンベアでスーツ・ケースの積み込みを手伝っていたのだろう。仕事中に持ち場を離れて良いのか気掛かりだけど、今はそんな心配どころじゃなかった。とにかく、幸せなる偶然に感謝するだけだ。
「こんな所で、一体どうしたの?」
「あぁ、日本に帰らなきゃならない。こっちこそ、ここで君に逢えるなんて考えもしなかったよ」
ヘセラは僕の言葉を冗談だと思ったのか、あいまいな微笑を返してきた。でなければ、すぐに僕がカンクンに戻って来るものと思い込んでいるのだろう。彼女と、2人きりで話がしたかった。
あの日、もしもキューバ行きがなければ…。こうしてヘセラと見つめ合っていると、今さらの思いに胸が苦しくなってくる。抱擁を交わすと、彼女のサラリとした肌に僕の顔が触れた。
きっと何もかも、これで良かったんだよな。ブラジル式に、僕はヘセラの両方のほっぺに(チュッ)として別れる。
「じゃあね。一緒にディスコに行けなくて残念だった」
そう言って、僕は再び日本へと歩き出した。
いつかは忘れるさ。
税関の手前でエドベンとも別れ、手荷物の検査を済ませるとエレベーターを上がった。そこは明るく広々とした待合所で、メキシコを思い出させる要素は何一つなかった。数日前のキューバ行きで、トニーと通過したばかりだった。あの時は、この待合所のトイレで不精ヒゲを剃ったっけなぁー。そう思うと、まだ彼と一緒に旅行している途中のような気がする。でも、もう誰もいない。
長い道中ずっと独りだと考えると、心に穴が空いたような落ち着かなさに襲われた。しかも今夜はシアトルで一泊だ、遠いよなぁ〜。
滅入る気分を変えようと、ふっかりとした椅子に座って本を取り出した。読み始めてみたものの、いつ搭乗開始になるのかと思うと集中できない。そこに制服の職員が近寄って来た。ドラッグ・ポリス絡みか…!?
「モート〜!」
エドベンだった。ホッとするやら嬉しいやら、だ。だけどさっきから仕事もしないで僕にかまってばかりで、そんな調子で平気なのかね。
「気にするなよ、今日はボスが遅いから」
そういう問題じゃないと思うが、彼の心遣いは沁みた。エドベンは僕の横に腰を下ろし、出発前の不安定な感情を共に分かち合ってくれた。ほとんど会話らしい言葉は交わさなかったが、友人がそばにいてくれる心強さを痛感する。僕はエドベンやトニー達に、このような思いやりを示せただろうか?…そう思うと(僕は良い友人ではないな)という気がしてくる。
彼が、無意識というよりは心得た上で(ただここにいてくれる)のが感じられた。
メキシコ旅情【帰郷編・5 機内サービス】
ステュワーデスがサイン・ボードの下に立ち、僕の乗る便の搭乗が始まった。早くも搭乗口には、乗客たちが殺到している。あれほど急ぐ必要もなかろうに、せかせか小走り気味で細い通路へ消えてゆく。どの国にも我勝ちになる人種はいるんだなー。行列が終わりかける頃合いに、僕は席から立ち上がった。
エドベンに、別れのあいさつを告げる。結局、最後の最後まで世話になってしまった。言い足りない感謝の気持ちを伝えて、チケットを改札機に通す。振り返って見ると、歩き去る彼の空港係官らしい後ろ姿があった。すでにノーズ・ゲートは人影もなく、おそらく僕が最後の乗客だろう。いよいよ、日本への長い帰途に就く。
カンクンからメキシコ湾を北上してアメリカのダラス間に向かう飛行機は、海外便の割に小型だった。そういえば、来た時も小さかったな。タラップの左はすぐに操縦室みたいで、客席は新幹線と同じ並びで奥行きも一緒。それでも、さすがにキューバのプロペラ機ほど狭苦しくない。あれの爆音も慣れれば平気かもしれないが、この飛行機がジェットで良かった。
僕の席は2列のほうの通路側、隣は小太りのビジネスマン。僕があんまり窓の外に見入っていると、彼が居心地悪そうにするので反対側の窓を見る。しかし今度は、通路を隔てた乗客と目が合ってしまった。ここには誰も、窓の外を見たい人間などいないのだろう。
上昇気流に乗った海鳥のように、瞬く間に高度が上がってゆく。眼下は深い緑の平面と、エメラルド〜ターコイズに染まった珊瑚の海だ。僕の歩いたセントロの町並みも、泳いだビーチもセノーテも、あの色のどこかに埋まっているんだなぁ。俯瞰する視点に(現実というのは、なんと夢のようなのだろう…)と思い知らされる。
ふいにスチュワーデスが来て、何事かを僕に質問してきた。早過ぎて聞き取れなかったが、何か座席に関して問題があるらしい。僕は気恥ずかしさを抑えながら訊き返した。
「すみませんが、もう一度ゆっくりと繰り返してください」
乗客全員の耳が、僕の言動を待ち構えている気がする。
「お客様、後ろの席にどうぞ」
別に、シート番号が間違っていた訳ではなかった。後ろの席が空いてたから厚意で言ってくれてたのに、その遠まわしな表現が理解できない僕は間抜けな問答を繰り広げる事になる。
「僕はこの席で満足しているんだ。何か問題ありますか?」
隣のオジサンが身じろぎして、周囲の人々も怪訝そうな顔をした。そして軽食の後でワインを飲んでいると、再びスチュワーデスが同じ話を蒸し返してきた。
「判りました。貴方の言うとおりにしますが、納得できるように説明して欲しいね」
そこで合点がいったとでもいうように、狭い通路で顔を突き合わせた彼女は大きく頷いた。まるで子供をあやすような丁寧さで説明された僕は、顔を真っ赤にして苦笑いするしかなかった。そういえば、いつだか読んだ記事に(空席がある場合、他人同士を詰め合わせるより分散させるのがアメリカ式…云々)と書かれてた気もする。
「一人のお客様同士の相席ですと、大抵は座席の移動を希望されるものですから」
彼女は茶目っ気たっぷりに、僕に微笑んでみせた。そうでしょうね、おっしゃる通りです。
「幸い、空席はいっぱいありますので。お好きな場所に座って下さいな」
棚から荷物を引き出すと、窓際のオジサンが大きく息を吐いた。周囲に拡がる静かなざわめきの中、後方の席に移動する。窓の外を眺めたい一心で、とはいえ横目まで使ってたのは失敗だった。あらぬ誤解を周囲に与えちゃってたんだろうな〜。
ともかく、これで気兼ねなく景色を眺められる。
約2時間でメキシコ湾を越えてテキサス州に着いた。そして、これから一気に大陸を北上してワシントン州まで行くのだ。何だかスゴイなぁ、飛行機に乗っているだけで北米大陸を縦断できてしまうのだから。
ダラス・フォートワース空港でトランジットして、ドメスティック・ラインでシアトルを目指す。今度は行きの時みたく外に出る事もなく、ほぼ待ち時間なしで午後5時9分発の便に移る。国内線のほうが機体が大きいのも妙な気分だけど、利用客数と飛行距離を考えれば当然か。
アメリカ人を満載している機内には、これまで乗ったどんな飛行機とも違う雰囲気が感じられた。これが、この国の空気感なのか? 僕はアメリカ本土に滞在した経験がないので、何とも言えないけど…。
ベルト着用のサインが消えると、ドリンクのサービスが開始された。スチュワーデスに飲み物を訊かれてビールを頼む。バドワイザーは「系列会社がイルカを劣悪な環境に閉じ込めている」という話を本で読んでいたので、それ以外の銘柄にしてもらう。クアーズの缶が、コップと一緒に出てきた。
「3ドルです」
「…ん?」
制服の彼女は、ニッコリ笑って繰り返した。聞き間違えるには、簡単すぎる単語だ。いかにも当然の事として言われたものだから、説明を求める前に僕は5ドル札を渡してお釣りを受け取っていた。
機内サービスが有料だなんて、どう考えても腑に落ちない。こうなったら得意の知ったかぶりは止めて、素直に訊くに限るな。先程の彼女に追いついて、僕は後ろから声を掛けた。
「すみません、教えて欲しいのですが…」
「何かしら?」
「いつから、これが有料になったのかと思ってね」
そう言って僕がクアーズの缶を見せて質問すると、彼女は微笑んで返金してくれた。
「あら、ごめんなさい。国際線のお客様だったのね」
なんだか拍子抜けして訊ねると、アメリカ国内便ではアルコール類が有料になるのだそうだ。ただし、国際線の乗り継ぎの場合には適用されないらしい。へぇー、そうなんだぁ。言ってみるもんだな。
エドベンに、別れのあいさつを告げる。結局、最後の最後まで世話になってしまった。言い足りない感謝の気持ちを伝えて、チケットを改札機に通す。振り返って見ると、歩き去る彼の空港係官らしい後ろ姿があった。すでにノーズ・ゲートは人影もなく、おそらく僕が最後の乗客だろう。いよいよ、日本への長い帰途に就く。
カンクンからメキシコ湾を北上してアメリカのダラス間に向かう飛行機は、海外便の割に小型だった。そういえば、来た時も小さかったな。タラップの左はすぐに操縦室みたいで、客席は新幹線と同じ並びで奥行きも一緒。それでも、さすがにキューバのプロペラ機ほど狭苦しくない。あれの爆音も慣れれば平気かもしれないが、この飛行機がジェットで良かった。
僕の席は2列のほうの通路側、隣は小太りのビジネスマン。僕があんまり窓の外に見入っていると、彼が居心地悪そうにするので反対側の窓を見る。しかし今度は、通路を隔てた乗客と目が合ってしまった。ここには誰も、窓の外を見たい人間などいないのだろう。
上昇気流に乗った海鳥のように、瞬く間に高度が上がってゆく。眼下は深い緑の平面と、エメラルド〜ターコイズに染まった珊瑚の海だ。僕の歩いたセントロの町並みも、泳いだビーチもセノーテも、あの色のどこかに埋まっているんだなぁ。俯瞰する視点に(現実というのは、なんと夢のようなのだろう…)と思い知らされる。
ふいにスチュワーデスが来て、何事かを僕に質問してきた。早過ぎて聞き取れなかったが、何か座席に関して問題があるらしい。僕は気恥ずかしさを抑えながら訊き返した。
「すみませんが、もう一度ゆっくりと繰り返してください」
乗客全員の耳が、僕の言動を待ち構えている気がする。
「お客様、後ろの席にどうぞ」
別に、シート番号が間違っていた訳ではなかった。後ろの席が空いてたから厚意で言ってくれてたのに、その遠まわしな表現が理解できない僕は間抜けな問答を繰り広げる事になる。
「僕はこの席で満足しているんだ。何か問題ありますか?」
隣のオジサンが身じろぎして、周囲の人々も怪訝そうな顔をした。そして軽食の後でワインを飲んでいると、再びスチュワーデスが同じ話を蒸し返してきた。
「判りました。貴方の言うとおりにしますが、納得できるように説明して欲しいね」
そこで合点がいったとでもいうように、狭い通路で顔を突き合わせた彼女は大きく頷いた。まるで子供をあやすような丁寧さで説明された僕は、顔を真っ赤にして苦笑いするしかなかった。そういえば、いつだか読んだ記事に(空席がある場合、他人同士を詰め合わせるより分散させるのがアメリカ式…云々)と書かれてた気もする。
「一人のお客様同士の相席ですと、大抵は座席の移動を希望されるものですから」
彼女は茶目っ気たっぷりに、僕に微笑んでみせた。そうでしょうね、おっしゃる通りです。
「幸い、空席はいっぱいありますので。お好きな場所に座って下さいな」
棚から荷物を引き出すと、窓際のオジサンが大きく息を吐いた。周囲に拡がる静かなざわめきの中、後方の席に移動する。窓の外を眺めたい一心で、とはいえ横目まで使ってたのは失敗だった。あらぬ誤解を周囲に与えちゃってたんだろうな〜。
ともかく、これで気兼ねなく景色を眺められる。
約2時間でメキシコ湾を越えてテキサス州に着いた。そして、これから一気に大陸を北上してワシントン州まで行くのだ。何だかスゴイなぁ、飛行機に乗っているだけで北米大陸を縦断できてしまうのだから。
ダラス・フォートワース空港でトランジットして、ドメスティック・ラインでシアトルを目指す。今度は行きの時みたく外に出る事もなく、ほぼ待ち時間なしで午後5時9分発の便に移る。国内線のほうが機体が大きいのも妙な気分だけど、利用客数と飛行距離を考えれば当然か。
アメリカ人を満載している機内には、これまで乗ったどんな飛行機とも違う雰囲気が感じられた。これが、この国の空気感なのか? 僕はアメリカ本土に滞在した経験がないので、何とも言えないけど…。
ベルト着用のサインが消えると、ドリンクのサービスが開始された。スチュワーデスに飲み物を訊かれてビールを頼む。バドワイザーは「系列会社がイルカを劣悪な環境に閉じ込めている」という話を本で読んでいたので、それ以外の銘柄にしてもらう。クアーズの缶が、コップと一緒に出てきた。
「3ドルです」
「…ん?」
制服の彼女は、ニッコリ笑って繰り返した。聞き間違えるには、簡単すぎる単語だ。いかにも当然の事として言われたものだから、説明を求める前に僕は5ドル札を渡してお釣りを受け取っていた。
機内サービスが有料だなんて、どう考えても腑に落ちない。こうなったら得意の知ったかぶりは止めて、素直に訊くに限るな。先程の彼女に追いついて、僕は後ろから声を掛けた。
「すみません、教えて欲しいのですが…」
「何かしら?」
「いつから、これが有料になったのかと思ってね」
そう言って僕がクアーズの缶を見せて質問すると、彼女は微笑んで返金してくれた。
「あら、ごめんなさい。国際線のお客様だったのね」
なんだか拍子抜けして訊ねると、アメリカ国内便ではアルコール類が有料になるのだそうだ。ただし、国際線の乗り継ぎの場合には適用されないらしい。へぇー、そうなんだぁ。言ってみるもんだな。
メキシコ旅情【帰郷編・6 北米縦断4時間の空旅】
機内のスクリーンにはコメディが写っているが、僕は窓の外を見ていた。ヘッドホンを耳にして、開いた本は、同じ箇所を繰り返し追っているだけ。そんな時ふっと顔を上げると、窓の外には美しい夕景があった。
刻々と移ろう雲の表情、迫り来る宵闇のダイナミックな色彩…。いつまで見ても、空は見飽きるという事がない。一体、どの辺りの上空を飛んでいるのだろう? 思い浮かべた北米の地図に、ダラスからシアトルまで直線を引いてみる。広大な草原か畑のような眺めからは乾燥地帯には見えないから、すでにコロラドは通過してしまったのだろう。地平線に見える山並みは、夕陽を背にした位置からするとロッキー山脈か。
飛行機は北へ向かっていて、太陽は西へ沈む。左舷の右、いくらか進行方向寄りの地平線に最後の光が落ちてゆこうとしていた。目的地は、およそ北々西の進路にある。地球の自転に逆らって、太陽を追いかけているみたいだな。
少し眠ろうかと目を閉じてみたが、全然その気になれない。耳鳴りみたいな「ゴォー」というホワイト・ノイズと、すげー退屈でキュークツで参っちまうよ。色濃い森に覆われた不規則なギャザーに、いつの間にか点々と虫食いのような残雪が目立ってきた。道理で寒い訳だ。しかも空気が乾燥しているせいで、喉が少し痛くなってきた。
時計の時差を修正したら、なんと出発時間の8分前に逆戻りだ。あーぁ、まだまだ当分このままかい。ダラスとカンクンは一緒でも、シアトルは2時間の時差があった。
(そうか、キューバでは1時間進めなければいけなかったんだ!)
カンクンの目と鼻の先だという感覚で考えもしなかったが、ハバナでは1時間遅れの時計を信じていた訳か…。これでは当然、シエスタにも飛行機にも間に合うどころじゃない。やれやれ。
真紅に輝いている地平線の上から、インク・ブルーの幕が下りつつある。雪山の真上を飛んでいて、夜の綿雲を思わせる青白い陰影の雪景色に時折、星のように小さな町の明かりが。
ひたすら雪に覆われた、人家の気配もない大地が続く。さっきヒコーキがすれ違った。どれくらい離れていたのだろう。滑るように、素速く後方に去った。夕陽に染まった、かすみの様な雲が地表をかすめてゆくようだ。
高度を落としたらしく、河も道すじも見える。尾根の北側が白く浮かびあがって、きっと町や村では早くもマフラーとコートで身をつつんだ人々が行き交っているのだ。陽は地平の彼方に消え、虹色の鮮やかなその残照に大地が浮かぶ。
主翼の真上に、ちょこんと上弦の月がのっかっている。科学の絵本でみた、宇宙との境目にいるような気分だ。
それにしても(ヒコーキで大陸縦断)というのは、ものすごくギャップを生むと思った。シアトルは太平洋に面した、カナダにほど近い町だが、やはり、すっかり冬支度なのだろうか? さっきまでの突き刺さるような太陽の光は、白日夢のように現実味を失ってしまう。
地表は闇に隠れ、その中にぽつりと明かりが灯っている。
まるで海流の中に漂う釣船のように、弱々しく光はまたたいている。そして、よく見ればその光は、さらに小さな光の集まりが寄り添いあった星団なのだ。
ダラスを発って4時間後、シアトルの街は電飾の銀河として現れた。キャンプファイヤーの炎が風で明るく輝くように、ひとつの星雲が明るさを増してゆく様子に目を奪われる。着陸態勢に入り、シアトルというミルキーウェイが無数の星座や星雲で埋め尽くされた闇の空間になる。
今夜、あの真っ黒な宇宙の一角で眠るのか。
まだ7時過ぎだというのに、シアトルの到着ロビーは閑散としていた。これじゃあ終電過ぎの東京駅だぜ、こんな広い空港とは見当違いだった。飛行機を降りてきた人達も早足で外に消えてゆく。
遠くのほうにチケット・カウンターが並んでいて、あそこならホテルのシャトル・バス乗り場を教えてくれるだろう。しかし僕が目を合わせただけで、閉店準備に追われる女性スタッフは先を制して「ご利用の航空会社は?」と訊いてきた。そして別のカウンターを早口で告げると奥に引っ込んでしまった。
ますます寒々しい気持ちで、荒涼としたロビーを該当カウンター探して急ぎ足。見つけたと思ったら人影がなくて、一気に顔面シワだらけになる。しかしカウンターの内側に隠れてしまうほど小柄な女性がいたので、今度は僕が先制して質問する。
ちょっと億劫そうに腰を上げてファイルを調べると、彼女は抑揚のない声で言った。
「この前の扉を出て向かい側に駐車場があるので、そこで待っていればすぐ来ます」
あとはもう「行けば分かる」の一点張り。礼を言って表に出ると冷たい風が吹いていて、機内で出しておいた長袖のシャツがなければ危うくTシャツ一枚で震える羽目になるところだった。
バス乗り場は複数のホテルが共用していて、彼女が言ったとおりではあった。各ホテルのバスが到着する度に人影が消え、そして最後は僕一人が夜風に吹かれて立っていた。
無事にマイクロ・バスは来たけれど、やっぱり乗客は僕だけ。湯気のようにモクモクと出てくる排気ガスに咳き込みながら、ホテル名を確認して乗り込む。後ろを振り向いた運転手は愛想の良さそうな人で、スペイン語訛りの英語で僕にあいさつを寄越した。ひょっとしてメキシコ人? だからって〈地獄に仏〉でもないのだけど、妙に親しみを感じて嬉しくなる。
車は空港の敷地を出て、殺風景な幹線道路をとばし始めた。唸るようなエンジン音と、冬の夜の空気が車内に入り込んでくる。沈黙を破って、僕は尋ねた。
「…失礼ですが、どちらの出身ですか?」
案の定メキシコで、彼はカリフォルニア半島の町から最近になってシアトルに来たのだそうだ。面白いものだな、寒い国に住む人は暖かい土地に憧れているのに。僕には冷たくて殺風景な町にしか見えなくても、彼には違って見えるのだろう。
刻々と移ろう雲の表情、迫り来る宵闇のダイナミックな色彩…。いつまで見ても、空は見飽きるという事がない。一体、どの辺りの上空を飛んでいるのだろう? 思い浮かべた北米の地図に、ダラスからシアトルまで直線を引いてみる。広大な草原か畑のような眺めからは乾燥地帯には見えないから、すでにコロラドは通過してしまったのだろう。地平線に見える山並みは、夕陽を背にした位置からするとロッキー山脈か。
飛行機は北へ向かっていて、太陽は西へ沈む。左舷の右、いくらか進行方向寄りの地平線に最後の光が落ちてゆこうとしていた。目的地は、およそ北々西の進路にある。地球の自転に逆らって、太陽を追いかけているみたいだな。
少し眠ろうかと目を閉じてみたが、全然その気になれない。耳鳴りみたいな「ゴォー」というホワイト・ノイズと、すげー退屈でキュークツで参っちまうよ。色濃い森に覆われた不規則なギャザーに、いつの間にか点々と虫食いのような残雪が目立ってきた。道理で寒い訳だ。しかも空気が乾燥しているせいで、喉が少し痛くなってきた。
時計の時差を修正したら、なんと出発時間の8分前に逆戻りだ。あーぁ、まだまだ当分このままかい。ダラスとカンクンは一緒でも、シアトルは2時間の時差があった。
(そうか、キューバでは1時間進めなければいけなかったんだ!)
カンクンの目と鼻の先だという感覚で考えもしなかったが、ハバナでは1時間遅れの時計を信じていた訳か…。これでは当然、シエスタにも飛行機にも間に合うどころじゃない。やれやれ。
真紅に輝いている地平線の上から、インク・ブルーの幕が下りつつある。雪山の真上を飛んでいて、夜の綿雲を思わせる青白い陰影の雪景色に時折、星のように小さな町の明かりが。
ひたすら雪に覆われた、人家の気配もない大地が続く。さっきヒコーキがすれ違った。どれくらい離れていたのだろう。滑るように、素速く後方に去った。夕陽に染まった、かすみの様な雲が地表をかすめてゆくようだ。
高度を落としたらしく、河も道すじも見える。尾根の北側が白く浮かびあがって、きっと町や村では早くもマフラーとコートで身をつつんだ人々が行き交っているのだ。陽は地平の彼方に消え、虹色の鮮やかなその残照に大地が浮かぶ。
主翼の真上に、ちょこんと上弦の月がのっかっている。科学の絵本でみた、宇宙との境目にいるような気分だ。
それにしても(ヒコーキで大陸縦断)というのは、ものすごくギャップを生むと思った。シアトルは太平洋に面した、カナダにほど近い町だが、やはり、すっかり冬支度なのだろうか? さっきまでの突き刺さるような太陽の光は、白日夢のように現実味を失ってしまう。
地表は闇に隠れ、その中にぽつりと明かりが灯っている。
まるで海流の中に漂う釣船のように、弱々しく光はまたたいている。そして、よく見ればその光は、さらに小さな光の集まりが寄り添いあった星団なのだ。
ダラスを発って4時間後、シアトルの街は電飾の銀河として現れた。キャンプファイヤーの炎が風で明るく輝くように、ひとつの星雲が明るさを増してゆく様子に目を奪われる。着陸態勢に入り、シアトルというミルキーウェイが無数の星座や星雲で埋め尽くされた闇の空間になる。
今夜、あの真っ黒な宇宙の一角で眠るのか。
まだ7時過ぎだというのに、シアトルの到着ロビーは閑散としていた。これじゃあ終電過ぎの東京駅だぜ、こんな広い空港とは見当違いだった。飛行機を降りてきた人達も早足で外に消えてゆく。
遠くのほうにチケット・カウンターが並んでいて、あそこならホテルのシャトル・バス乗り場を教えてくれるだろう。しかし僕が目を合わせただけで、閉店準備に追われる女性スタッフは先を制して「ご利用の航空会社は?」と訊いてきた。そして別のカウンターを早口で告げると奥に引っ込んでしまった。
ますます寒々しい気持ちで、荒涼としたロビーを該当カウンター探して急ぎ足。見つけたと思ったら人影がなくて、一気に顔面シワだらけになる。しかしカウンターの内側に隠れてしまうほど小柄な女性がいたので、今度は僕が先制して質問する。
ちょっと億劫そうに腰を上げてファイルを調べると、彼女は抑揚のない声で言った。
「この前の扉を出て向かい側に駐車場があるので、そこで待っていればすぐ来ます」
あとはもう「行けば分かる」の一点張り。礼を言って表に出ると冷たい風が吹いていて、機内で出しておいた長袖のシャツがなければ危うくTシャツ一枚で震える羽目になるところだった。
バス乗り場は複数のホテルが共用していて、彼女が言ったとおりではあった。各ホテルのバスが到着する度に人影が消え、そして最後は僕一人が夜風に吹かれて立っていた。
無事にマイクロ・バスは来たけれど、やっぱり乗客は僕だけ。湯気のようにモクモクと出てくる排気ガスに咳き込みながら、ホテル名を確認して乗り込む。後ろを振り向いた運転手は愛想の良さそうな人で、スペイン語訛りの英語で僕にあいさつを寄越した。ひょっとしてメキシコ人? だからって〈地獄に仏〉でもないのだけど、妙に親しみを感じて嬉しくなる。
車は空港の敷地を出て、殺風景な幹線道路をとばし始めた。唸るようなエンジン音と、冬の夜の空気が車内に入り込んでくる。沈黙を破って、僕は尋ねた。
「…失礼ですが、どちらの出身ですか?」
案の定メキシコで、彼はカリフォルニア半島の町から最近になってシアトルに来たのだそうだ。面白いものだな、寒い国に住む人は暖かい土地に憧れているのに。僕には冷たくて殺風景な町にしか見えなくても、彼には違って見えるのだろう。
メキシコ旅情【帰郷編・7 夏から冬へ】
ホテルの送迎マイクロバスは、暗闇に灯った青白い明かりの前に横付けされた。シアトルの空港から大して離れていない筈なのに、幹線道路は真夜中の静けさだ。
運ちゃんにスペイン語であいさつして、ガラス張りの玄関を入る。チープな宿だ。それほど広くないロビーに革張りの応接セットが置かれていて、カウンターの上に「無料」と書かれたコーヒー・メーカー。新聞各種に、ガムの自販機。フロントでクーポンを渡して、部屋のキーを受け取る。
荷物を下ろして部屋の検分にかかる。何といっても、ゆったりとしてお湯の出るシャワーがあるだけで合格だった。ベッドもキング・サイズだし、MTVも写る。駐車場に出入りする車のライトが射し込むのは、厚手のカーテンで覆ってしまう。
ホテルの食堂は、営業時間をとっくに過ぎていた。近くに見えていたレストランを目指すが、ことごとく休業日か閉店したばかりだった。幹線道路沿いの店なのに、まだ8時過ぎだぜ…?
雨上がりのような、湿った空気が夜を包んでいた。人影はなく、車も走ってない。アスファルトのうねりが地の果てに続いていて、黒い山脈の背後に星空が拡がっていた。つやつやとした漆黒の闇に中古車センターの照明がやけに目立つ、東京近郊と変わりない典型的な都市郊外の夜景だ。
気を取り直して歩き出すと、坂の上の交差点にネオンが見えた。僕の後ろから轟音が迫ってきて、貨物列車のようなトラックが地響きを立てて追い抜いて行った。右側通行だから反対車線にいたのだが、一瞬(轢かれたか!?)と思った。
交差点まで行ってから横断するつもりだったが、向かい側に小さなネオンを見つけてJウォークする。縦にウネウネした直線道は見通しが利かない上に街灯がなく、疾走する車との距離を読み違えるには絶好の条件だ。いつまた次のトレーラーが来るかとヒヤヒヤしながらも無事に横断すると、真っ暗な路地から人が飛び出してきて「ひっ」と変な声を出してしまった。まったく、脅かすなってぇの!
見上げるような背丈をした黒人の若者で、ワッチ・キャップもダウン・コートも黒づくめだったのだ。人種差別的な意図は一切なしで、彼が完全に暗闇と一体化して見えたのも無理はないだろう。そんな格好で暗がりから出てくれば、こっちはもう襲われるのかと誤解もするぜ。
僕のビビッた顔を見て、その男性もまた奇妙なものを見るような目付きをした。彼の完全防備に比べ、こちらはTシャツに長袖シャツをはおっただけの軽装だ。考えてみれば気温は真冬並みだし、僕がひどく場違いに見られたとしても不思議じゃなかった。それでも、あんな大げさに着込む寒さじゃないな。だって、寒がりの僕でも(ちょっと肌寒いかな)と感じる程度なのだ。今さっきまで熱帯にいた僕でさえ。
少し歩くと、奥まった場所にネオンが見えてきた。僕の先を行っていた彼が、手前の駐車場を横切って店のほうに向かう。赤く光るサインは「VIDEO」の筆記体だった。残念。その店の入口付近に何台かバイクが停まっていて、数人の若者が溜まっている。なんだか僕のほうをチラチラ見ている気がして、なるべく気を引かないよう足を速めた。冬の夜に薄着でウロウロしている奴を見て、ヒマつぶしの材料と思われてはたまらない。
やっぱり(知らない町)は苦手だ。
思惑どおり、交差点の向こうにコンビニがあった。しかも見知った「セブン・イレブン」のロゴで、ホッと胸をなでおろす。この際だ、何でも良いから腹に詰めてしまおう。自動ドアが開くと、あったかい空気が…と思ったら室内の温度は外と大差ない。
そして同じチェーン店なのに、何というか日本のそれとは雰囲気が違っていた。コンビニらしくないというか、以前グアムで立ち寄った系列店の印象とも異質で意表を突かれた。(コンビニなんて、どこだって一緒)というイメージは、実は日本が均質化してるだけだったのか? むしろ本場のチェーン店のほうが個性を感じさせる、アメリカから輸入した制度だった筈なのに妙な感じだ。
僕は、棚にわずかに残っていたハンバーガーとブリトーを買ってホテルに戻った。ちなみに、店のレンジもセルフサービスだった。部屋で食べる頃には、帰るまでの外気に冷えてしまって過熱した意味がなくなっていた。それでも、店内のスツールで地元の若者に混ざって食べるよりはマシだ。
ともかく腹はふくれたし、お待ち兼ねの熱いシャワーでリラックス。それからテレビをつけて、日本に帰る用意をしておく。MTVはあいにく訳判らない時間帯で、カントリー系のプログラムを放送していた。それでも、落ち着かないドラマやプロレスの絶叫番組よりかは僕向きだけど。
ベッドの上に広げた、久々に見る雑多な小物。それらはリュックの奥に約1ヶ月間しまい込んでいた、僕のリアル・ライフの必需品だった。財布の中身を入れ替えて、残ったドル札はジーンズのポケットに。小銭はまだ出し入れするだろうから、円のコインを入れてある小袋はカバンの出しやすい所に。それに、家の鍵…。こういった物が、いよいよ明日からまた必要になるのだ。
ひと月前まで普通に使っていた物に触っただけで、自分の気持ちがカチッと切り替わった。心が一瞬で太平洋を越えて、日本の空気に同化したような感覚だ。何かが、もうカンクンで暮らしていた僕ではなくなってしまっていた。だからといって空しさでもなく、この気分はむしろ新しい勢いみたいなものに近い。
「ラブ・ミー、ラブ・ミー…」
カントリー番組が終わったMTVからカーディガンズの「ラブ・フール」が流れてきて、僕の心は一瞬にして、トニーの部屋に逆戻りしていた。彼とMTVを観ている時も、カンクンでは毎日この曲がヘビー・ローテーションでかかっていたっけ。胸が締め付けられるような、どこか甘い痛みを覚える。それは、この刹那気でスウィートなラブ・ソングの魔法かもしれない。
(きっと僕は、忘れた頃に再びこの曲を聴いて魔法に掛かるだろうな)
そう思った。
運ちゃんにスペイン語であいさつして、ガラス張りの玄関を入る。チープな宿だ。それほど広くないロビーに革張りの応接セットが置かれていて、カウンターの上に「無料」と書かれたコーヒー・メーカー。新聞各種に、ガムの自販機。フロントでクーポンを渡して、部屋のキーを受け取る。
荷物を下ろして部屋の検分にかかる。何といっても、ゆったりとしてお湯の出るシャワーがあるだけで合格だった。ベッドもキング・サイズだし、MTVも写る。駐車場に出入りする車のライトが射し込むのは、厚手のカーテンで覆ってしまう。
ホテルの食堂は、営業時間をとっくに過ぎていた。近くに見えていたレストランを目指すが、ことごとく休業日か閉店したばかりだった。幹線道路沿いの店なのに、まだ8時過ぎだぜ…?
雨上がりのような、湿った空気が夜を包んでいた。人影はなく、車も走ってない。アスファルトのうねりが地の果てに続いていて、黒い山脈の背後に星空が拡がっていた。つやつやとした漆黒の闇に中古車センターの照明がやけに目立つ、東京近郊と変わりない典型的な都市郊外の夜景だ。
気を取り直して歩き出すと、坂の上の交差点にネオンが見えた。僕の後ろから轟音が迫ってきて、貨物列車のようなトラックが地響きを立てて追い抜いて行った。右側通行だから反対車線にいたのだが、一瞬(轢かれたか!?)と思った。
交差点まで行ってから横断するつもりだったが、向かい側に小さなネオンを見つけてJウォークする。縦にウネウネした直線道は見通しが利かない上に街灯がなく、疾走する車との距離を読み違えるには絶好の条件だ。いつまた次のトレーラーが来るかとヒヤヒヤしながらも無事に横断すると、真っ暗な路地から人が飛び出してきて「ひっ」と変な声を出してしまった。まったく、脅かすなってぇの!
見上げるような背丈をした黒人の若者で、ワッチ・キャップもダウン・コートも黒づくめだったのだ。人種差別的な意図は一切なしで、彼が完全に暗闇と一体化して見えたのも無理はないだろう。そんな格好で暗がりから出てくれば、こっちはもう襲われるのかと誤解もするぜ。
僕のビビッた顔を見て、その男性もまた奇妙なものを見るような目付きをした。彼の完全防備に比べ、こちらはTシャツに長袖シャツをはおっただけの軽装だ。考えてみれば気温は真冬並みだし、僕がひどく場違いに見られたとしても不思議じゃなかった。それでも、あんな大げさに着込む寒さじゃないな。だって、寒がりの僕でも(ちょっと肌寒いかな)と感じる程度なのだ。今さっきまで熱帯にいた僕でさえ。
少し歩くと、奥まった場所にネオンが見えてきた。僕の先を行っていた彼が、手前の駐車場を横切って店のほうに向かう。赤く光るサインは「VIDEO」の筆記体だった。残念。その店の入口付近に何台かバイクが停まっていて、数人の若者が溜まっている。なんだか僕のほうをチラチラ見ている気がして、なるべく気を引かないよう足を速めた。冬の夜に薄着でウロウロしている奴を見て、ヒマつぶしの材料と思われてはたまらない。
やっぱり(知らない町)は苦手だ。
思惑どおり、交差点の向こうにコンビニがあった。しかも見知った「セブン・イレブン」のロゴで、ホッと胸をなでおろす。この際だ、何でも良いから腹に詰めてしまおう。自動ドアが開くと、あったかい空気が…と思ったら室内の温度は外と大差ない。
そして同じチェーン店なのに、何というか日本のそれとは雰囲気が違っていた。コンビニらしくないというか、以前グアムで立ち寄った系列店の印象とも異質で意表を突かれた。(コンビニなんて、どこだって一緒)というイメージは、実は日本が均質化してるだけだったのか? むしろ本場のチェーン店のほうが個性を感じさせる、アメリカから輸入した制度だった筈なのに妙な感じだ。
僕は、棚にわずかに残っていたハンバーガーとブリトーを買ってホテルに戻った。ちなみに、店のレンジもセルフサービスだった。部屋で食べる頃には、帰るまでの外気に冷えてしまって過熱した意味がなくなっていた。それでも、店内のスツールで地元の若者に混ざって食べるよりはマシだ。
ともかく腹はふくれたし、お待ち兼ねの熱いシャワーでリラックス。それからテレビをつけて、日本に帰る用意をしておく。MTVはあいにく訳判らない時間帯で、カントリー系のプログラムを放送していた。それでも、落ち着かないドラマやプロレスの絶叫番組よりかは僕向きだけど。
ベッドの上に広げた、久々に見る雑多な小物。それらはリュックの奥に約1ヶ月間しまい込んでいた、僕のリアル・ライフの必需品だった。財布の中身を入れ替えて、残ったドル札はジーンズのポケットに。小銭はまだ出し入れするだろうから、円のコインを入れてある小袋はカバンの出しやすい所に。それに、家の鍵…。こういった物が、いよいよ明日からまた必要になるのだ。
ひと月前まで普通に使っていた物に触っただけで、自分の気持ちがカチッと切り替わった。心が一瞬で太平洋を越えて、日本の空気に同化したような感覚だ。何かが、もうカンクンで暮らしていた僕ではなくなってしまっていた。だからといって空しさでもなく、この気分はむしろ新しい勢いみたいなものに近い。
「ラブ・ミー、ラブ・ミー…」
カントリー番組が終わったMTVからカーディガンズの「ラブ・フール」が流れてきて、僕の心は一瞬にして、トニーの部屋に逆戻りしていた。彼とMTVを観ている時も、カンクンでは毎日この曲がヘビー・ローテーションでかかっていたっけ。胸が締め付けられるような、どこか甘い痛みを覚える。それは、この刹那気でスウィートなラブ・ソングの魔法かもしれない。
(きっと僕は、忘れた頃に再びこの曲を聴いて魔法に掛かるだろうな)
そう思った。
メキシコ旅情【帰郷編・8 シアトルの朝】
モーニング・コールが鳴った。
しんとした部屋を、空調の静かな風が温めている。
ベッドを立って窓際に行き、カーテンを開けた。曇ったガラスは鈍く発光し、そこを通して冬の朝の冷気が差し込んでくるようだ。
「ふぅーぷるるっ!」
ベッドの誘惑に駆られながらも、僕は暖房の前で立ち止まってTVをつける。急いで着替えて、冷たい水で顔を洗い歯を磨くと眠気が取れた。荷物をまとめて、フロントで精算を済ませる。といっても宿代はチケットのクーポンに含まれていて、僕は部屋のキーと引き換えにレシートをもらうだけで良かった。
ロビーには、コーヒー・メーカーの立てる朝の匂いが充ちている。中央の応接セットは、すでに朝刊の見出しを広げるスーツ姿の男達で埋まっていた。皆、シャトル・バスの発車時間を待っているのだ。それはまるっきりアメリカ映画か、コーヒーのCMに出てきそうなワンシーンだった。
荷物を脇に置いてドアを押し開けると、真冬の空気に包まれる。朝露に濡れたアスファルトの彼方、青く浮き出した山脈に冠雪が見える。冷水から引き揚げたばかりの眺めだ、霧雨が音もなく冬空を煙らせていた。
映画「ランボー」の、冒頭シーンを思い出す。寒い朝、独りの男が深い山あいの街道を小さな町へと歩いている…。吐く息も白い、明け方の湿った空気。そして異邦人の所在無さ。
僕はロビーに引き返し、手近なところに差してあったパンフレットを手に取ってパラパラとめくった。それは系列のホテル・ガイドで、軽く目を通すと棚に戻す。ガラス張りのラウンジは、外気との温度差で室内がうっすらと曇っている。無料コーヒーをカップに注ぎ、荷物のそばでバスを待つ。
きっと昨日までいたカンクンの真夏も、そしてこのシアトルの冬寒も、成田に着いたら忘れてしまう気がする。なのにあと半日で日本だ、よく分からない。
シャトルバスが到着するより一足早く、男達はそそくさと玄関前に並び始める。そんな男達の合図を待っていたかのようにバスが来て、僕が並んでいる間に走り去った。折り返してくる次のバスでも間に合う筈だが、分かっていてもヤな感じ!
手取り足取りアナウンスされる日本と違って、定員に達したら機械的に行ってしまう小気味よさも感じなくはない。けど男達の、我勝ちに出し抜くような態度は不快だった。偉そうな身なりはダテか!? 今にも雪を降らせそうな鈍い空の下では、人の心も縮こまるのか…。
次に来たのシャトル・バスのドライバーは、昨夜とは別人のメキシコ人女性だった。空港に到着した時に「グラシアス」と言ってバスを降りると、彼女はちょっとはにかんで「デ・ナーダ[どういたしまして]」と応えてくれた。
彼女が、シアトルで唯一の笑顔だった。昨夜のドライバーといい、この町には彼らが必要なのだ。わざわざ熱い国から移住してくる気が知れないと思っていたけれど、ここにメキシコ人がいなければ僕の気持ちは冷え込む一方だったからな。
空港は、昨夜とは打って変わって賑やかだった。どこを見ても行き交う人々であふれていて、その多くが日本人だ。シアトルって、アメリカ入国への上野駅なのか!?
さらに奇妙に感じたのは、ほとんどが観光目的らしき日本人という点。この近辺にそういう輩の好みそうな場所なんてないだろ〜? 思わず首をかしげたくなる。
混み合う通路を成田行きの搭乗ゲートへ進んで行くと、それはもう日本人比率が異様なほど高まってきた。すでに好き嫌いのレベルを凌駕する、まさにレッド・ゾーンのヤバい感じ…。待合フロアで軽い朝食を取るつもりでいたが、それどころじゃなかった。
今迄の人生で一度しかない、あの貧血を起こした時の気持ち悪さに似ている。僕は一目散で長いスロープを引き返し、待合フロアの混雑から離れた。突発的な人酔いだったのか、搭乗時刻ギリギリまではフロアに立ち入らないに越した事はないだろう。
かなり時間の余裕があるので、この辺で何か腹に入れておこう。と思ったら、どこも小洒落たカフェばっかで日本人女性がギッシリ…! とにかく空席を捜して、騒がしい空気のなかで朝食にありつく。なんとなく、女性のトイレで用を足しているような居心地の悪さを感じて(もちろん例え話だけれど)どうも食べた気がしない。
どこから湧いてくるのか、女性客は波のように押し寄せてくる。日本語の、興奮気味の他愛ない喋り声が春休みの原宿みたいに喧しい。
成田行きの待合所に戻ると、日本人の収容場所みたいな混雑ぶり。それでも先程よりは気分の悪さも忍耐の範囲だ、というか我慢しなければ帰れない。
フロア面積の大半は、我が物顔で○ィズニーの袋を抱えた親子連れとカップルで占領されている。よその国にお邪魔しているというのに、誰もが地元の縁日みたいな顔で賑やかにやっていて恥ずかしくなる。
やがて、そうこうするうちにスチュワーデスがゲート入口の改札機を準備し始めた。先に早々とスーツケースを並べて場所取りしていた人々、その後ろに慌ただしく駆け寄る人々。移民の群れが一斉に行動を起こした。何をそこまで、という勢いだ。
「座席はなー、早い者勝ちで決まるのじゃーっ!」
皆さん、そう言わんばかりの形相。両手につかまれた可愛いキャラクターの顔が、行列にねじ込まれる。子供達が、母親に叱咤されながら引きずられてゆく。典型的な日本の光景だ。僕は搭乗前の騒動を見物しながら、苛立ちとも嘆きともつかない感慨を覚えた。
しんとした部屋を、空調の静かな風が温めている。
ベッドを立って窓際に行き、カーテンを開けた。曇ったガラスは鈍く発光し、そこを通して冬の朝の冷気が差し込んでくるようだ。
「ふぅーぷるるっ!」
ベッドの誘惑に駆られながらも、僕は暖房の前で立ち止まってTVをつける。急いで着替えて、冷たい水で顔を洗い歯を磨くと眠気が取れた。荷物をまとめて、フロントで精算を済ませる。といっても宿代はチケットのクーポンに含まれていて、僕は部屋のキーと引き換えにレシートをもらうだけで良かった。
ロビーには、コーヒー・メーカーの立てる朝の匂いが充ちている。中央の応接セットは、すでに朝刊の見出しを広げるスーツ姿の男達で埋まっていた。皆、シャトル・バスの発車時間を待っているのだ。それはまるっきりアメリカ映画か、コーヒーのCMに出てきそうなワンシーンだった。
荷物を脇に置いてドアを押し開けると、真冬の空気に包まれる。朝露に濡れたアスファルトの彼方、青く浮き出した山脈に冠雪が見える。冷水から引き揚げたばかりの眺めだ、霧雨が音もなく冬空を煙らせていた。
映画「ランボー」の、冒頭シーンを思い出す。寒い朝、独りの男が深い山あいの街道を小さな町へと歩いている…。吐く息も白い、明け方の湿った空気。そして異邦人の所在無さ。
僕はロビーに引き返し、手近なところに差してあったパンフレットを手に取ってパラパラとめくった。それは系列のホテル・ガイドで、軽く目を通すと棚に戻す。ガラス張りのラウンジは、外気との温度差で室内がうっすらと曇っている。無料コーヒーをカップに注ぎ、荷物のそばでバスを待つ。
きっと昨日までいたカンクンの真夏も、そしてこのシアトルの冬寒も、成田に着いたら忘れてしまう気がする。なのにあと半日で日本だ、よく分からない。
シャトルバスが到着するより一足早く、男達はそそくさと玄関前に並び始める。そんな男達の合図を待っていたかのようにバスが来て、僕が並んでいる間に走り去った。折り返してくる次のバスでも間に合う筈だが、分かっていてもヤな感じ!
手取り足取りアナウンスされる日本と違って、定員に達したら機械的に行ってしまう小気味よさも感じなくはない。けど男達の、我勝ちに出し抜くような態度は不快だった。偉そうな身なりはダテか!? 今にも雪を降らせそうな鈍い空の下では、人の心も縮こまるのか…。
次に来たのシャトル・バスのドライバーは、昨夜とは別人のメキシコ人女性だった。空港に到着した時に「グラシアス」と言ってバスを降りると、彼女はちょっとはにかんで「デ・ナーダ[どういたしまして]」と応えてくれた。
彼女が、シアトルで唯一の笑顔だった。昨夜のドライバーといい、この町には彼らが必要なのだ。わざわざ熱い国から移住してくる気が知れないと思っていたけれど、ここにメキシコ人がいなければ僕の気持ちは冷え込む一方だったからな。
空港は、昨夜とは打って変わって賑やかだった。どこを見ても行き交う人々であふれていて、その多くが日本人だ。シアトルって、アメリカ入国への上野駅なのか!?
さらに奇妙に感じたのは、ほとんどが観光目的らしき日本人という点。この近辺にそういう輩の好みそうな場所なんてないだろ〜? 思わず首をかしげたくなる。
混み合う通路を成田行きの搭乗ゲートへ進んで行くと、それはもう日本人比率が異様なほど高まってきた。すでに好き嫌いのレベルを凌駕する、まさにレッド・ゾーンのヤバい感じ…。待合フロアで軽い朝食を取るつもりでいたが、それどころじゃなかった。
今迄の人生で一度しかない、あの貧血を起こした時の気持ち悪さに似ている。僕は一目散で長いスロープを引き返し、待合フロアの混雑から離れた。突発的な人酔いだったのか、搭乗時刻ギリギリまではフロアに立ち入らないに越した事はないだろう。
かなり時間の余裕があるので、この辺で何か腹に入れておこう。と思ったら、どこも小洒落たカフェばっかで日本人女性がギッシリ…! とにかく空席を捜して、騒がしい空気のなかで朝食にありつく。なんとなく、女性のトイレで用を足しているような居心地の悪さを感じて(もちろん例え話だけれど)どうも食べた気がしない。
どこから湧いてくるのか、女性客は波のように押し寄せてくる。日本語の、興奮気味の他愛ない喋り声が春休みの原宿みたいに喧しい。
成田行きの待合所に戻ると、日本人の収容場所みたいな混雑ぶり。それでも先程よりは気分の悪さも忍耐の範囲だ、というか我慢しなければ帰れない。
フロア面積の大半は、我が物顔で○ィズニーの袋を抱えた親子連れとカップルで占領されている。よその国にお邪魔しているというのに、誰もが地元の縁日みたいな顔で賑やかにやっていて恥ずかしくなる。
やがて、そうこうするうちにスチュワーデスがゲート入口の改札機を準備し始めた。先に早々とスーツケースを並べて場所取りしていた人々、その後ろに慌ただしく駆け寄る人々。移民の群れが一斉に行動を起こした。何をそこまで、という勢いだ。
「座席はなー、早い者勝ちで決まるのじゃーっ!」
皆さん、そう言わんばかりの形相。両手につかまれた可愛いキャラクターの顔が、行列にねじ込まれる。子供達が、母親に叱咤されながら引きずられてゆく。典型的な日本の光景だ。僕は搭乗前の騒動を見物しながら、苛立ちとも嘆きともつかない感慨を覚えた。
メキシコ旅情【帰郷編・9 日本】
僕の席は最後部に近い、中央の列の右から2番目だった。乗り込んだ時には、ほとんどの乗客が席に着いていた。すでにシートベルトを締めていた男性には、ゆっくり搭乗待ちをしていた事を申し訳なく思う。
機内のシートに腰を下ろすと、機長からの出発前のアナウンスが始まった。
「現在、目的地の東京は午前5時、気温は10℃…」
これから約10時間の、長い長いフライトが始まるのだ。
スチュワーデスが配置に就いて、例によって「緊急時のジェスチャー」を始める。引き続いて免税品の営業になり、僕は耳かきのようなイヤホンで機内放送を聴きながら機内誌を拡げた。僕にとって不運なことに、この席は左右どちらの窓からも離れていた。たとえ小雨まじりの曖昧な空模様でも、窓からの眺めは気晴らしになるのに。
未来都市のようなタワーが、旋回する飛行機の下端をかすめて消えた。港に面して立つ、周囲に調和しない塔。設計当初に夢見た安直な未来像は、むしろその使い古された(いかにも未来っぽい造形)がレトロ・フューチャーだ。
成田への到着は「明日の午後4時過ぎ」らしい。フライト時間がおおよそ11時間として、時差は16時間。もうサマー・タイムは終わったろうから、プラス1時間の時差になる。…さて、それでは僕がシアトルを飛び発ったのは何時頃でしょう?
僕は本を読み耽っていた。
何しろ、他にすることがないのだ。
時々、僕は席を立って喫煙コーナーで一服した。さすがに通路側の人に気兼ねしてしまって、そうそう何度も行ったり来たりは出来ない。それでも、まだタバコが吸えるだけマシかもしれないな。
そう、これは携帯も普及してなかった1996年の出来事なのだ。
今では完全に全面的に禁煙だから、もう僕が飛行機でアメリカに行く事はない。この成田−シアトル路線が〈日本人サラリーマンが主な客筋〉だったから、この時点でも辛うじて喫煙ゾーンを残していたのだった。
長いフライトだった。窓の外は、海と雲だけ。
やがて、水平線に細い影が浮かんだ。軽いざわめきに包まれる機内、早くも身支度を整えにかかる人々の慌ただしい空気がみなぎってくる。みんな一斉にアクビし始めるのが可笑しい。すべての乗客が、退屈し切っていたのだ。
折よく「ポーン」と鳴って、機長さんのアナウンスが流れる。言われるまでもない、間もなく当機は日本に着くのだった。ゆるやかな傾斜を滑り落ちるように高度が下がり、少しづつ陸上の様子がはっきり見て取れるようになってきた。いくつかの島影を遠目に、本島に接近する。
やがて子供達の声が騒ぎだし、乗客の目はいっせいに窓際に集まった。遠くに見えるのは、霞たなびく富士山だ。ほとんど雲海に隠れてしまっていて、残念ながら姿はあまり見えなかった。それでも〈日本の象徴〉という威力は見事なものだな。シートのあちこちから、かたまりのような吐息が聞こえた。
はるか下界の海岸線から、いよいよ東京湾上空に差しかかった事が分かる。行く手に、ネズミ色の巨大なドームが浮かんでいるのが見えた。
(なんて汚いのだろう…)
まるで汚染された外気を遮断するために、意図的に張られたバリアーのようだ。だがしかし、実際には正反対の役目を果たしてくれている。都心の悪い空気を、周囲に撒き散らさないようにしているのだな…。自然の力はスゴイ。
あそこの中に、僕は住み暮らしていたのだった。そして今、再び降り立とうとしている。
税関へ向かうガラス越しに差し込む光は、すでに淡い夕刻の色を帯びていた。壁いっぱいの窓に、団子っ鼻のジャンボ機が顔を寄せ合っている。まるで(巨大なペットショップの子犬)みたいで、図体はデカいが妙な可愛さがあるなと思う。
大方の乗客が降りてから出たのに、それでも背後から押しのけるようにして追い抜いてゆく人々がいる。やたら手荷物が多くて人にぶつけながら、詫びる素振りもなく先を急ぐ…。日本に戻ってきたのだ、時間のない国に。
飛行機を降りてから、体の上から透明な膜が張り付いているようだ。カンクンに到着した時には気温差に慣れるのに苦労したが、戻ってくれば今度は別の不慣れさがあるとは。この漠然とした侘しさ、だけど如何にも東京らしい気がする…。これが時差ボケってやつか?
いや違うんじゃないか、この虚脱感は。行き交う人々の余裕の無さが目に付いて、それが僕の気分を重くする。でも実は何も感じないよう視界に幕を張り、心を閉じているのだ。それがこの国で生まれ育った人間の、バランスの取り方だった事に気付かされる。
メキシコになくて、日本にあるもの。シアトルにはあったけど、日本の方が強いもの。あのネズミ色の巨大なドーム、その中にいる事が関係してるのかと考える。でもメキシコの日々を思い出してはいなかった、ただ生まれ故郷に適応するため閉ざされる心を思うと、なんだか感傷的になったのだ。
機内のシートに腰を下ろすと、機長からの出発前のアナウンスが始まった。
「現在、目的地の東京は午前5時、気温は10℃…」
これから約10時間の、長い長いフライトが始まるのだ。
スチュワーデスが配置に就いて、例によって「緊急時のジェスチャー」を始める。引き続いて免税品の営業になり、僕は耳かきのようなイヤホンで機内放送を聴きながら機内誌を拡げた。僕にとって不運なことに、この席は左右どちらの窓からも離れていた。たとえ小雨まじりの曖昧な空模様でも、窓からの眺めは気晴らしになるのに。
未来都市のようなタワーが、旋回する飛行機の下端をかすめて消えた。港に面して立つ、周囲に調和しない塔。設計当初に夢見た安直な未来像は、むしろその使い古された(いかにも未来っぽい造形)がレトロ・フューチャーだ。
成田への到着は「明日の午後4時過ぎ」らしい。フライト時間がおおよそ11時間として、時差は16時間。もうサマー・タイムは終わったろうから、プラス1時間の時差になる。…さて、それでは僕がシアトルを飛び発ったのは何時頃でしょう?
僕は本を読み耽っていた。
何しろ、他にすることがないのだ。
時々、僕は席を立って喫煙コーナーで一服した。さすがに通路側の人に気兼ねしてしまって、そうそう何度も行ったり来たりは出来ない。それでも、まだタバコが吸えるだけマシかもしれないな。
そう、これは携帯も普及してなかった1996年の出来事なのだ。
今では完全に全面的に禁煙だから、もう僕が飛行機でアメリカに行く事はない。この成田−シアトル路線が〈日本人サラリーマンが主な客筋〉だったから、この時点でも辛うじて喫煙ゾーンを残していたのだった。
長いフライトだった。窓の外は、海と雲だけ。
やがて、水平線に細い影が浮かんだ。軽いざわめきに包まれる機内、早くも身支度を整えにかかる人々の慌ただしい空気がみなぎってくる。みんな一斉にアクビし始めるのが可笑しい。すべての乗客が、退屈し切っていたのだ。
折よく「ポーン」と鳴って、機長さんのアナウンスが流れる。言われるまでもない、間もなく当機は日本に着くのだった。ゆるやかな傾斜を滑り落ちるように高度が下がり、少しづつ陸上の様子がはっきり見て取れるようになってきた。いくつかの島影を遠目に、本島に接近する。
やがて子供達の声が騒ぎだし、乗客の目はいっせいに窓際に集まった。遠くに見えるのは、霞たなびく富士山だ。ほとんど雲海に隠れてしまっていて、残念ながら姿はあまり見えなかった。それでも〈日本の象徴〉という威力は見事なものだな。シートのあちこちから、かたまりのような吐息が聞こえた。
はるか下界の海岸線から、いよいよ東京湾上空に差しかかった事が分かる。行く手に、ネズミ色の巨大なドームが浮かんでいるのが見えた。
(なんて汚いのだろう…)
まるで汚染された外気を遮断するために、意図的に張られたバリアーのようだ。だがしかし、実際には正反対の役目を果たしてくれている。都心の悪い空気を、周囲に撒き散らさないようにしているのだな…。自然の力はスゴイ。
あそこの中に、僕は住み暮らしていたのだった。そして今、再び降り立とうとしている。
税関へ向かうガラス越しに差し込む光は、すでに淡い夕刻の色を帯びていた。壁いっぱいの窓に、団子っ鼻のジャンボ機が顔を寄せ合っている。まるで(巨大なペットショップの子犬)みたいで、図体はデカいが妙な可愛さがあるなと思う。
大方の乗客が降りてから出たのに、それでも背後から押しのけるようにして追い抜いてゆく人々がいる。やたら手荷物が多くて人にぶつけながら、詫びる素振りもなく先を急ぐ…。日本に戻ってきたのだ、時間のない国に。
飛行機を降りてから、体の上から透明な膜が張り付いているようだ。カンクンに到着した時には気温差に慣れるのに苦労したが、戻ってくれば今度は別の不慣れさがあるとは。この漠然とした侘しさ、だけど如何にも東京らしい気がする…。これが時差ボケってやつか?
いや違うんじゃないか、この虚脱感は。行き交う人々の余裕の無さが目に付いて、それが僕の気分を重くする。でも実は何も感じないよう視界に幕を張り、心を閉じているのだ。それがこの国で生まれ育った人間の、バランスの取り方だった事に気付かされる。
メキシコになくて、日本にあるもの。シアトルにはあったけど、日本の方が強いもの。あのネズミ色の巨大なドーム、その中にいる事が関係してるのかと考える。でもメキシコの日々を思い出してはいなかった、ただ生まれ故郷に適応するため閉ざされる心を思うと、なんだか感傷的になったのだ。
メキシコ旅情【あとがき】
この旅から10年、経ってしまいました。
ずっと僕は(また行こう)と思いながらも、ついぞ果たせぬままです。
今度はもう少しスペイン語を覚えて、ダンスも踊れるようになって、いくらかマシな格好で、そしたら・・・。なぁんて、再びトニーやエドベン達と過ごすカンクンの日々を思い描いて、何も実現しないまま機を逸し続けています。
エドベンは綺麗な女性と結婚し、今はアメリカン航空へと転職しました。
トニーはロサンゼルスの学校で教えていて、洒落たスポーツカーを乗り回しているようです。
ディエゴやジョアンナ達も見違えるような大人になっているだろうし、グラシエラやビアネイも引っ越してしまったでしょうし、ヘセラだって空港で働いている大学生な訳がありません。でも街並みだけは、あんまり変わっていないような気がします。
そんな相変わらずなセントロを抜けてメルカドを見やり、懐かしいカーサ・ブランカ〈白い家〉の前に立つ自分の姿を、何度も想像してみました。しかし気が付けば、もう見知った顔はママ達しかいないでしょう。それでも僕は扉の向こうに呼びかけて、ママに挨拶が伝われば好いと思います。
あの日々を思い返す毎に、トニーの部屋に居候していただけの僕に食事や洗濯をしてくれてたママへの、感謝の気持ちが伝えきれなかったような気がして・・・。
もちろん、エドベンとトニーがいなければ有り得ない旅でした。決して旅先での無茶は望んでいなかったのに、毎日が思いがけない体験の連続となったのも、それらを何事もなく笑って済ませていられるのも、本当に2人のおかげなのです。
あの頃か後に、日本では若者が無謀な海外旅行をする風潮がありました。僕の場合は、現地に精通するエドベンと旅慣れたトニーがいてくれたからこその奇跡でした。危ない橋など渡らない僕にとっては、事前にトニーと交わした「僕も行っていい?」という冗談半分の約束が今でも信じられない位です。
あの時、普段なら言わない台詞を口走った自分に。そして本当に行く準備を始めた自分に・・・!
最初にこの旅の記録を書き始めたのは、帰国して半年も経たない内でした。現地では日記をつけていたので、それと写真を頼りに記憶のすべてを洩らさず綴っていきました。
それは自分のための忘備録だったので、友人に読んでもらうために2度の推敲を重ねた第3稿が、この「メキシコ旅情」の原文になっています。そこから更に削ぎ落として連載形式で更新を重ねたのですが、いま思えば(まだ必要ない文章が多かったな)という感じがあります。
たとえばガイドブックみたいに現地の物価や治安などの情報を中心に据えるか、あるいは毎日のアクシデントを面白おかしい読み物にするか、見聞録のような情景の描写を丁寧に書くかといった基本姿勢が曖昧な内容になってしまっている気がするのです。また、文章のテンポも定まっていない点にも力量不足を実感しています。
それでも、実際を誇張したり事実に反すると感じるような事は書いていません。すべては時系列どおりに、僕が体験したままの現実です。ただ、部分的に客観的な情報を補足する目的で参考にした資料と事柄については、各話の末尾に記載しています。
ちなみに、僕が遭遇した月蝕に関しては自分でも夢だったのではと一抹の不安を抱いていたのですが、下記のURLで実際に起こっていたのだと確認しました。こうして見ると、僕がキューバに行くまでのメキシコ滞在期間は、月が近付いて遠のいて赤道を通過してゆく動きの中にピッタリ当てはまっていて面白い気もします。
とにかく、読んでくださった方々が楽しんで戴けたのなら何より嬉しく思います。
Hasta la vista...
1996年9月−10月の天文現象
ずっと僕は(また行こう)と思いながらも、ついぞ果たせぬままです。
今度はもう少しスペイン語を覚えて、ダンスも踊れるようになって、いくらかマシな格好で、そしたら・・・。なぁんて、再びトニーやエドベン達と過ごすカンクンの日々を思い描いて、何も実現しないまま機を逸し続けています。
エドベンは綺麗な女性と結婚し、今はアメリカン航空へと転職しました。
トニーはロサンゼルスの学校で教えていて、洒落たスポーツカーを乗り回しているようです。
ディエゴやジョアンナ達も見違えるような大人になっているだろうし、グラシエラやビアネイも引っ越してしまったでしょうし、ヘセラだって空港で働いている大学生な訳がありません。でも街並みだけは、あんまり変わっていないような気がします。
そんな相変わらずなセントロを抜けてメルカドを見やり、懐かしいカーサ・ブランカ〈白い家〉の前に立つ自分の姿を、何度も想像してみました。しかし気が付けば、もう見知った顔はママ達しかいないでしょう。それでも僕は扉の向こうに呼びかけて、ママに挨拶が伝われば好いと思います。
あの日々を思い返す毎に、トニーの部屋に居候していただけの僕に食事や洗濯をしてくれてたママへの、感謝の気持ちが伝えきれなかったような気がして・・・。
もちろん、エドベンとトニーがいなければ有り得ない旅でした。決して旅先での無茶は望んでいなかったのに、毎日が思いがけない体験の連続となったのも、それらを何事もなく笑って済ませていられるのも、本当に2人のおかげなのです。
あの頃か後に、日本では若者が無謀な海外旅行をする風潮がありました。僕の場合は、現地に精通するエドベンと旅慣れたトニーがいてくれたからこその奇跡でした。危ない橋など渡らない僕にとっては、事前にトニーと交わした「僕も行っていい?」という冗談半分の約束が今でも信じられない位です。
あの時、普段なら言わない台詞を口走った自分に。そして本当に行く準備を始めた自分に・・・!
最初にこの旅の記録を書き始めたのは、帰国して半年も経たない内でした。現地では日記をつけていたので、それと写真を頼りに記憶のすべてを洩らさず綴っていきました。
それは自分のための忘備録だったので、友人に読んでもらうために2度の推敲を重ねた第3稿が、この「メキシコ旅情」の原文になっています。そこから更に削ぎ落として連載形式で更新を重ねたのですが、いま思えば(まだ必要ない文章が多かったな)という感じがあります。
たとえばガイドブックみたいに現地の物価や治安などの情報を中心に据えるか、あるいは毎日のアクシデントを面白おかしい読み物にするか、見聞録のような情景の描写を丁寧に書くかといった基本姿勢が曖昧な内容になってしまっている気がするのです。また、文章のテンポも定まっていない点にも力量不足を実感しています。
それでも、実際を誇張したり事実に反すると感じるような事は書いていません。すべては時系列どおりに、僕が体験したままの現実です。ただ、部分的に客観的な情報を補足する目的で参考にした資料と事柄については、各話の末尾に記載しています。
ちなみに、僕が遭遇した月蝕に関しては自分でも夢だったのではと一抹の不安を抱いていたのですが、下記のURLで実際に起こっていたのだと確認しました。こうして見ると、僕がキューバに行くまでのメキシコ滞在期間は、月が近付いて遠のいて赤道を通過してゆく動きの中にピッタリ当てはまっていて面白い気もします。
とにかく、読んでくださった方々が楽しんで戴けたのなら何より嬉しく思います。
Hasta la vista...
1996年9月−10月の天文現象